安倍晋三官房長官は17日、教育基本法改正について
「自民党としては『国を愛する心を涵養(かんよう)する教育』をしっかり書き込みたい。与党の中に『国を大切にする心』でもいいではないかという方々もいるが、随分違う」
と述べ、改正案に「愛国心」の文言を盛り込む考えを強調したそうだ。
私に言わせると
「どう違うの?」という感じだが、敢えて相手の発想にあわせて考えれば、要するに「国を愛する心」だと、「国のために自己犠牲」を強要しやすいが、「国を大切にする」だと、まず自分がいて、その自分が「国」なるものを「大切にする」というイメージになるってことなんだろう。
つまり、
「愛する」だと「私」と「国」なるものが「渾然一体」(あるいは「国」という全体が上位にある)という感じが出るが、「大切にする」だと「私」と「国」なるものはやや独立している印象を受ける、ということなんだろう。
憲法9条を改正して戦争に人々を動員したい安倍晋三氏としては、そういう「自立した個人」みたいな考え方があるとやりにくい、ということなのだろう。
しかし、「愛国心」を強調するすべての人に問いたいことがある。
あんたの言う「国」って何なの?
あるいは「日本」って何なの?
ということである。
よほど思考が「ふやけて」いない限り、こんな言葉は不用意には使えないだろう、などと思う今日この頃なのだ(笑)。←きっこの日記風

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