「格差についてのノート(その3)――不平等と不平等感」
格差問題
さて、ようやく
格差の議論の中で見落とされているものについて語ることができるところまで来た。
それは何か?
まず確認すべきは
「不平等」と「不平等感」の区別である。
平等とは偏りや差別のないことを言う。したがって、「不平等」とは何らかの偏りや差別があることである。これは複数のものを共通の尺度で比較および評価することが前提されている。「不平等」かどうかは、
尺度が共通であるという意味で客観性を持つと言える。
例えば、ある2人の人間からなる社会があるとして、Aさんは所得が1,000万円あるが、Bさんは所得が500万円だとすれば、この社会は所得を尺度にして比較すれば不平等である。もし2人とも750万円ずつの所得であれば所得は平等である(注1★、注2★)。
(注1★)ここでの平等は基本的に「結果の平等」だが、この所得が何かの機会に繋がるならば、その限りで「機会も平等」であることにもなる。「結果の平等」と「機会の平等」は相反するものではなく、常に混在している。これも平等を論じる難しさの要素となっている。
(注2★)ここでは所得だけで比較したが、もちろん、それ以外の観点を導入すれば所得が同じでも不平等だと言うことはできる。尺度は複数ありうるが、特定の尺度を設定しなければ平等も不平等も語ることができない。ここに格差や平等の問題を語る際の困難があり、これが明確化が必要な所以でもある。
これに対して
「不平等感」とは、
諸個人が「不平等がある」という主観的な感じである。これは必ずしも上記の客観的な「不平等」と一致するわけではない。
つまり、ある尺度に照らして「平等」であっても、多くの人々が「不平等感」を感じることはありうるし、同じく「不平等」であっても、多くの人々が「不平等感」を感じないこともありうる。
現在、日本に住む人々の間では「不平等」の度合いと「不平等感」との乖離がある。というのは、前回「その2」の記事で書いたとおり、
「不平等化」は進行しているが、それほど急速ではないにも関わらず、各種世論調査では着実に自分を下層であると感じる人が増える傾向が強い。つまり、
「不平等感」は近年、急速に高まりつつあると言える。
例えば、時系列的な変化については
「社会実情データ図録」のグラフが分かりやすい。また、最近の世論調査としては
朝日新聞のものがある。
では、
この「不平等」と「不平等感」のミスマッチはどうして生じているのか?そして、どのような方向に進むことが望ましいのか?それらについて、次回、述べることにする。

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