藤原肇という人の書いた
『小泉純一郎と日本の病理』という本を読んだ。
どうやらこの本は
結構売れているようだ。今年の10/30に第一刷が発行されてから第二刷が出るまで約2週間(11/15)というあたりを見てもそれが分かる。
内容的には
序盤は主に小泉純一郎の経歴に関する断罪がなされている。彼の祖父の代から翼賛政治に関わってきたことに始まり、小泉の隠された過去(レイプ疑惑など)から、そして政治家になってから現在に至るまでの様々な言動について、逐一攻撃を仕掛けている。
しかし、後半に示される
オルタナティブの提示は極めて貧弱なものだった。日本における
人材の「質の低下」が問題であると本書は診断するのであるが、
このような判断を下した時点で、私に言わせれば解決策は無効なのである。
というのは、
そのような診断から出てくる処方箋は必ず「教育をすること」に行き着くからである。本書の場合、さらに日本にはまともな教育機関がないので留学することを薦めている点に他の人との違いがあるが、それが有効な解決策になるとも到底思えないからである。
(誰もが留学できるだけの言語習得に熱心に取り組むか?それだけ多くの費用がかかることを多くの人がすると思うか?もし、多くの人が留学する必要がなく、エリートだけでも行くべきだという主張なのだとしても、留学の方が優れた効果が出るということについて十分な説明はないし、筆者の思い描くような留学――箔をつけるために行くのではも、遊学するのでもない――を、それほど多くの人ができるとは思えない。むしろ、筆者の体験と「近代西欧」信仰がこうしたことを言わせているに過ぎない。)
さて、
小泉政権を強烈に批判すること自体には全く異議がない。むしろ、大いに賛成である。しかし、本書に対しては特に
2つの点で不満が残る。
一点目は、小泉の言動を批判する際に
根拠が十分でないまま、歴史との安易なアナロジーを用いたり、イメージに訴えるような用語を用いることで、論理の飛躍を隠蔽したりしながら、論を進めているところがあまりにも多い、ということである。
ただ、大手メディアでは採り上げられず、中小のメディア、週刊誌などでだけ採り上げられるような記事を多数集めているという点では、それなりに役立ちうる。例えば、小泉のレイプ疑惑についても、完全に証拠で詰めてはいないが、「そうした疑惑があったという事実」を提示していることには意味がある。また、小泉にはどことなくクリーンなイメージがもたれているが、それが誤りであり、利権を漁っているということも、不十分ながら疑惑と推測も交えながらではあるが、提示していることには意味がある。
しかし、本書に書かれていることはそのまま鵜呑みにはできないような書き方、論証にしかなっていないのが残念なところなのである。
もう一つは、筆者自身の考えである。藤原の背景理論は完全に
「近代化論」の枠内にしかなく、しかも、彼自身認めるように
「リバタリアニズム」的であるという点である。
これらの点については機会があれば(時間が取れれば)大いに批判することにする。
次には本書の有益な記事をちょっとだけ紹介したい。

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