新自由主義の進展の勢いはすさまじいものがある。
最近では政治の世界にまで新自由主義が深く入り込んでいる。「郵政選挙」の結果、一挙にそれが進んでしまった。
その一つの徴候は、
政党(自民党)の派閥解体である。これは
政治家の分断化=個人化であって、労組の解体(労働者の分断・個人化)と似ている。
こうした議員の分断化=個人化と並行して自民党は中央集権化を進めている。地方組織の権限を党本部が奪い、党本部の権限を強化する動きがある。
これらは表裏一体となって一つの効果を生む。
組織(=党)内部での自由な言論を封じてしまうのである。組織に属する個人が、集団を構成せずに直接に組織と対峙する場合、個人は圧倒的に不利な立場におかれる。こうした状況では、組織を動かす権力を握る少数の人間に反対することは、極めて困難になるのである。こうして
組織のリーダー層以外はイエスマンにならざるを得なくなる。
そして、これによって政党は多元性を失う、すなわち、様々な
利害の調整機能を失う。組織を動かす権力を握ったごく少数の人間に影響を与えることができる勢力だけが、圧力団体として圧倒的に有利になる。現在の日本で最有力なのは経団連などの財界であろう。
また、先日の内閣改造後には改革競争が盛んに喧伝されているが、この
改革競争もまた市場での競争原理のアナロジーである。それも、上述の派閥の解体(議員の個人化)によって、
この競争で「市場における消費者」に相当するのは(市場のアナロジーをそのまま適用すると「国民」になるはずなのだが、そうではなく)
「政党のリーダー的な権力者(たち)」と「彼らにアクセスできる、ごく少数の圧力団体」となることは必定である。造反議員とその協力者への処分の事例に照らしても、これは自明であろう。
政治の世界は、権力(暴力Gewalt)の世界であると同時に公共的言論の世界でもある。
「政治の市場化」はこのうち公共的言論の側面を崩壊させる。誰もが権力者に気を遣って発言せざるを得なくなっていく。
その帰結は「権力の世界の原理」の一極支配である。
経済における大企業独占に類似した帰結が、ここでは政治権力の独占、すなわち、独裁的・専制的な政治体制という形で現れる。

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