市町村合併:平成の大合併、打ち切りへ 背景に周辺地域衰退も−−総務省
総務省は市町村合併を推進する方針を見直し、「平成の大合併」を打ち切る方向で検討に入った。合併が想定以上に進んだことや、周辺地域の衰退など合併の弊害が各地で見られるようになったため。現在の新合併特例法が失効する10年3月を大合併の期限とする。「明治の大合併」「昭和の大合併」に続く市町村合併ブームを全国に引き起こした「平成の大合併」は、区切りを迎えることになる。【石川貴教】
平成の大合併は、政府の「地方分権推進委員会」が97年の第2次勧告で、地方分権の受け皿となる市町村の体力を高めるため、市町村合併の推進を政府に求めたのがきっかけ。99年に旧合併特例法が改正され、合併した市町村が有利な条件で発行できる合併特例債が設けられたことで、一気に合併が加速した。
合併により、職員数削減による効率化などメリットもみられたが、弊害も少なくない。財政状況が悪い自治体同士による合併や合併特例債の「ばらまき」で財政がさらに悪化したり、都道府県並みの面積の自治体が増え、周辺地域の衰退や公共サービスの低下を招いたケースもある。
実際に、大分県が旧町村の住民を対象に05年から始めた聞き取り調査では「住民検診の実施個所が統合されて不便になった」「職員減や役場の注文がなくなり、店の売り上げが減った」「道路の整備が遅れるようになった」などの弊害が寄せられた。大分県は58あった市町村数が18まで減り、減少率は全国5位。同じような弊害は全国で起きている。
一方、合併による市町村数の減少率をみると、明治(77・8%)、昭和(64・8%)に比べて、平成の大合併は45・1%と決して少なくはない。政府は00年の行政改革大綱で「自治体数1000」を目標にしてはいるが、「当初は2000でさえ難しいのでは、と思っていた。1773は十分な数字」(総務省幹部)というのが大勢の見方だ。
10年3月に合併新法が切れた後、旧市町村の議員の任期を一定期間延長する在任特例など、合併を支障なく済ませる最低限の制度のみ整える。また、人口5万人程度の「中心市」と周辺町村が連携する「定住自立圏」を、合併せず自立できる選択肢として提供する。この構想を適用すれば、合併しない市町村の体力を高められることも、今回の方針転換を後押しした。
合併を巡っては、政府の地方制度調査会も検討を進めているが、「(合併新法が切れる)10年3月31日をもって平成の市町村合併には終止符を打つべきだ」(西尾勝東京市政調査会理事長)という委員も多い。総務省は調査会の審議を待って、今後のあり方を最終的に決めたい考えだ。
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■ことば
◇合併特例法
「平成の大合併」を推し進めた合併特例法には旧法と新法がある。旧合併特例法は65年施行。99年7月の改正で、国が7割を補てんする合併特例債の発行など合併する市町村への財政優遇措置が盛り込まれた。05年3月の期限が迫ると駆け込み的に合併が加速し、1991市町村が参加。99年3月で3232あった市町村数は旧法下で1822まで減少した。合併旧法を引き継ぐ形となった新合併特例法(05年4月施行)は、合併推進債の発行なども認めたが、国の補てん割合は4〜5割まで減少。既に合併が相当数進んだこともあり、期限が切れる10年3月の市町村数は1773と見込まれ、勢いが鈍っている。
毎日新聞 2008年11月18日 東京朝刊
少し前の記事だが、これは私にとっては感慨深いものがある記事である。
私が政治や社会問題に多少なりとも関心を持ち始めたのはせいぜい最近10年ほどのことであるが、現在起こっている問題に対しての勉強を本格的に始めた頃、私たちが作っていた研究会で研究テーマの一つとして選んだのが「市町村合併」であった。
私は勉強を始める前(当時の私は新自由主義の弊害について十分な見識を持っていなかった)には、「効率化するならいいんじゃないか?」くらいに漠然と思っていたが、少し勉強してみると、その漠然とした観念がいかに誤ったものであるかを痛感したのを鮮明に覚えている。
合併特例債の発行(乱発)と合併後には最終的に
地方交付税が削減となるが、機構をどのように「スリム化」してみても、それに見合うだけの財政削減効果は望めない
(総務省や合併推進派は「合併算定替」をあたかもメリットであるかのように宣伝していたが…)ことから、
合併後の市町村は財政的にさらに苦境に陥ることと、当然に
行政サービスが低下するということの2点が合併の大きな問題だと考えるに至ったが、実際に
合併が行われて何年も経たないうちにそれが顕在化したわけだ。
本記事では、「職員数削減による効率化」があったとしているが、それがどの程度だったのかを具体的に示してみれば、それがほとんど意味を成さないほど小さなものであることが明らかになるだろう。総務部門などがトータルで縮小したからと言っても、行政の場合、大した効果は望めないことは明らかである。人件費が10%か5%減っても、それは財政規模全体から見れば、恐らく1〜2%というところではないのか。
その程度の効果を出すために失ったものはあまりに大きいと言わざるを得まい。実際、例えば、
合併した市町村を元の市町村に分割することは合併すること以上に困難なのだ。
また、さらに根本的な批判としては次の点を指摘できる。
「経営」の視点から見た場合、職員数削減は「効率化」に見えるかもしれない。しかし、
「削減」された職員は一体どこに行ったのか?社会の中から消えたわけではなかろう。行政や政治を企業経営と同列で考える人の多くは、この点を十分に考えていないことが多い。新規採用を控えたことによってこの削減が行われたとすれば、
それだけ若者の就労機会は減ったことになるわけだが、それは効果があったと言えるのだろうか?
若者が行政機関に雇われれば、それは税金から給料が払われることになるが、行政サービスは行われるという対価がある。若者が失業を続ければ、雇用保険や生活保護の給付は行われるかも知れないが、社会が得る対価はほとんどない。民間で彼らが雇用されない限りは。こうした若者が行く先は派遣社員などの不安定な雇用である。行政機関に雇用されるはずだった人は民間のそれなりの企業に勤めることになり、民間のそれなりの企業に勤めるはずだった人は競争のため、より条件の悪い企業にしか勤められず、もともとあまり良い条件の企業には勤められなかった人が派遣など、より不安定な雇用を強いられ、もともと不安定な雇用だった人たちは職を失う、という形で
雇用喪失の連鎖が起きていると私は見ている(そして、
こうした雇用の不安定化が消費の低迷を構成する一つの大きな要因であり、これは経済の足腰が弱っているということでもあると考える)が、そのことについてはマスメディアでもウェブ上でも十分に語られているようには思えない。
ようやく新自由主義に基づく政策に対する見直しが進んでいることは好ましいことだが、
新自由主義の何が間違っているのかについて明確に指摘する言説、すなわち、一般大衆がはっきりと理解できる言説が今、求められているように思えてならない。
(単に新自由主義に基づく政策の結果が、新自由主義の支持者たちが言っていた事とは異なるというだけでなく、なぜ、そうなのかを明確に指摘する「理論」が求められるのではないか。同じことの再発を防止するために。)
コイズミカイカクの時代に、彼のカイカクに反対していた勢力が何を言っていたか、見直しておく時期にきているのではないだろうか。

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