小森氏の講演について書く前に、渡辺氏の講演における議論の内容で、注意すべきだと思われる点について一言触れておきたい。
憲法を平和運動の核とするということは国民国家を一つの前提として容認することを意味してしまうという点で欠陥はあるということは認める必要はあるだろう。理論的には。しかし、具体的な戦略として見るならば、現在の大抵の人々の日常言語の意味空間において「国家」なる語がどの程度疑わしいものと考えられているか(すなわち、そのような概念がいわば実体的に存在しうるかということについて、どの程度疑われているか)を考えてみると、やはり当面はそのような信仰(ここでは神が存在すると信じることになぞらえている)が存在することには一定の配慮を示しながら運動していくことも許されよう。
但し、自分自身が国家幻想に飲み込まれないように常に批判的であることは必要である。すなわち
「国家という存在者は存在しないが、国家という事実は現時点においては作られる土壌が広範にあり、また、そこからしばしば作られることがある」ということをよくわきまえること。(ただ、この点は、私が一時、大学に出入りしていた際に、しばしば関連事項に触れられることがありながらも、学生たちの誰一人として十分に理解できなかった点であると思っている。)
さて、小森陽一氏の講演について簡単に記そう。
個人的には渡辺治氏の講演の方がよくまとまっていてよかったという印象を持っている。やや小森氏の方はとりとめのない、本題からポイントがずれた解説がながかったように思ったからである。
まず、前段として運動を一つ一つ成功させていくことによって、マスメディアのあり方(運動に対する扱い)が変わってくる、ということについて述べていた。この点はあらゆる種類の運動にとって重要な点であると思われる。私の言葉で言えば
「公共圏を拡大すること」の一つの形である。
本題に入ると、小森氏は大江健三郎氏が憲法と教育基本法の前文に含まれている「希求」という言葉に注目したことから説き起こす。
そして、日本国憲法と国連憲章とを比較し、日本国憲法が国連憲章という国際平和を目的とする法をさらに一歩進めたものであることを示し、それをもって日本国憲法は一国平和主義などではなく、国連憲章の延長上に位置づくような法であると主張する。(平和主義の条文については、そう言っていいと私も考えている。)
そのようなものである憲法9条の平和主義を捨てさせようとする勢力を、小森氏はアメリカの外圧であるとする。そして、アメリカから日本への圧力とはどのようなものかといえば
「二国間同盟に基づいていつでも集団的自衛権を行使できるようにしろ」というものである。
小森氏によれば、この考え方にイラク戦争のカラクリがあるという。
すなわち、イラクは通常ミサイルしか持たないため、アメリカへの直接攻撃はできない。それゆえ、イギリスを巻き込んだのだ、と。北朝鮮についてもほぼ同じようなことが言え、ここではイギリスの代役を日本が果たすことが期待されているというわけである。
小森氏はエネルギー政策として中東の石油が今後60年程度で枯渇することを踏まえ、中央アジアがその後には重要になるという点に注目する。そうした文脈を背景としてみると、カスピ海の天然ガスをパキスタン経由でインド洋に至るルートを確保するためにアメリカがアフガニスタンに侵攻したという解釈が成り立つ。
そして、パキスタンとインドには核があるのでイラクやアフガニスタンのようにはいかず、それを押さえるために米軍の再編が行われているという。
こうした中で、
日本の軍事力を使って中国とロシアを押さえることがアメリカの狙いであるとする。
ユーラシア大陸の西と東では絶え間ない戦闘が続く西と、それと比較すれば平和である東という違いを指摘できるという。そして、9条の力もその要因であるとする。すなわち、
9条は東アジアの平和を守っているとする。
その9条が今、危機に瀕している。それを体を張って守ることが必要である。
と、まぁ、概ね以上のような議論が展開されていた。
私の見解を言えば、やや石油や資源に重点を置きすぎており、それだけからすべてを導き出すのは一面的である、という批判がまずある。確かにエネルギー政策による各国の駆け引きはすでに中東だけでなく中央アジアでも始まっており、パイプラインがどのようなルートで作られるかということは、今後の中期的な国際関係と世界経済のあり方に大きな影響を持っていることは確かである。
しかし、石油・エネルギー一元論だけではアメリカ政府の政策は説明できないと思う。
続きを書きたいが、今日はもう力尽きた。

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