2006年1月の写真。以前
“野方 0008” のところで、野方配水塔の“空襲時の弾丸の傷跡”を示した中野区のプレートの写真を出して、“弾痕は東側の階段室の外側にあるのだそうである”と記した。しかし、その後の
“廃墟徒然草” さんの調査(
“野方給水塔 弾丸跡の謎” 参照)で、どうもそのプレートに記載された内容がアヤシイものであるらしいということがわかってきた。また、野方配水塔の西側の壁面に何箇所か見られる四角い補修跡(
“野方 0006” の写真参照)は、ホンモノの弾痕をあからさまに隠蔽したモノなのではないだろうか、という説も出てきて、なんだかわけがわからないことになっているようだ。また、野方配水塔に対する攻撃(グラマンかなんかの機銃掃射か)が、1回限りであったとしたら、東側が正しいとか西側のほうをやられた、といった議論になる可能性もあるのだが、同一の施設を複数回攻撃することもないとはいえないわけで、東西両壁面が被弾しているという可能性もある。それに加えて、西側の壁面の補修跡がずいぶん新しいもののように見えるので、こちら側に被弾したとすれば、その時期は野方配水塔に塗装がほどこされた1977年以降になるのではないか、という話も出てきて、1977年以降の弾丸といったら、まず第一に疑われるのは哲学堂公園の野球場から飛んでくる弾丸ライナーである。多少の距離はあるものの、飛ぶバットと飛ぶボール、それに筋肉増強剤を適切に使用すれば、弾丸ライナーは左中間のフェンスを越えて、配水塔に着弾するのではないか。自分が野球チームの監督かコーチだったとしたら、水道タンクに向かって打て、と自軍の打者に指示を出すと思う。