2007年4月の写真。雀宮で撮影したホーローの広告板である。町田忍氏に『懐かしの町 散歩術』(ちくま文庫 2004年)という著作があって、その巻末の泉麻人氏の記した解説の中に、こういう表現があった。
“町田さんが自販機に隠れた店屋の壁に、朽ちた琺瑯看板の群れを探し当てた。”(「群れ」は傍点つき−K.T.)
“朽”の字は部首でいうたら木ヘンに属するから、朽ちるのは木材方面のモノに限られると思い込んでいたが、よくよく考えてみれば、芸術作品方面あたりで“不朽の名作”などといったりするし、給水塔筋でも“老朽化が進んだ高架配水塔”などといったりするのだから、“朽ちた琺瑯看板”という表現も修辞上許容されるということか。しかし朽ちたホーローの姿をリアルにイメージすることは自分にはむずかしい。
ところで今日は世間では“昭和の日”(どうせそこまでやるのならいっそのこと“昭和節”といってもらいたいものだ。ついでに2月11日は“紀元節”、11月3日は“明治節”、12月23日は“天長節”としていただきたい。)だということなので、このブログにもなつかしの昭和レトロっぽい写真をもってきた、といったら一応の理屈は通るのかもしれないが、自分には特定の時代をなつかしがったりする心性が欠如しているので、こういうモノを見てもどうも反応がにぶい。昭和××年代のことを古き良き時代であった、というふうに断定している記述に接しても、それはひとつのご意見としてうけたまわっておきましょう、と脳の中で反応するだけである、というよりは、そういう断定をはげしく拒絶しているといったほうがまだウソっぽくならない。