1972年6月の写真。都電32系統の専用軌道と国道17号線(中山道)のクロスするあたり、電停でいえば新庚申塚のあたりで撮影した。電車の行く手をさえぎるバスは国際興業株式会社のバスで、国道17号線を巣鴨駅方面に向かっているようだ。ひょっとしたら、都営志村車庫から巣鴨駅、お茶の水駅を経て、東京駅北口に至る東55系統のバスかもしれないのだが、残念ながらこれは推測の域にとどまっている。当時は撮りバスの習慣がなかったので、行先表示幕も“KKK”のロゴマーク(
“大谷口 0067” 参照)も撮影していないのであった。ついでにいうておくと、東55系統のバスはとっくに廃止されている。白山の東洋大学のあたりから志村坂上までは、ずっと都営地下鉄6号線(今の都営三田線)の上を走っていたわけなので、地域住民にとってもどうしても必要な路線ということではなかったのであろう。今でも国際興業バスが縦横に走り回る都会の秘境大谷口エリアとは趣を異にしている、というておく。