2006年1月末で満63歳になった。
生涯の総決算となるこれからの日々を悔いなく過ごすために過去を顧みて反省すべきは反省し今出来る事は躊躇わず実行する、健康には最大限に留意して何事にも自然体でいたいものである。
2021/4/12
信じられないことが起きた、
ゴルフの祭典と言われるマスターズで
29歳の日本人が優勝した、
愛媛県出身の松山英樹その人だ、
深夜の時間帯4日間ずっと見ていた、
この時期が近づくとマスターズを
見るのが楽しみで胸が躍る、
マスターズトーナメントの会場は
オーガスタナショナルゴルフクラブであるが
花と緑に囲まれて美しく見るのが楽しい、
今朝も松山のスタート時間3時40分に合わせて
テレビのスイッチを入れた、
昨日終了時点で2位に4打差をつけて
トップに立っていた、
だから追われる立場だ、
追う立場の選手を見るのは楽しいが
追われる立場の選手を見るのもつらい、
ファンの心理って
そんなものであろうか?
1番ホールでいきなりボギーが先行した、
いやな予感が頭をよぎる、
だがよく耐えていた、
逃げに入らず攻めのゴルフに徹しているのを
感じて少しは安心した、
終盤15番ホールで松山が
2打目を池に入れてボギー、
米国籍27歳の同伴競技者シャウフェレが
バーディーをとって
2打差に迫った時は嫌な予感がした、
だが直後の16番ホールで今度はシャウフェレが
テイーショットを池に入れた時には
思わず安堵の胸を撫でおろした、
これには松山自身も救われた気分になったろう、
だが伏兵は次々に現れる、
最終18番ホールを迎えた時点で
競技を終えた2位とは2打差、
薄氷を踏む思いだ、
松山はティーショットをバンカーに入れて
万事休すと思いきや、
さすがにトッププロ
バンカーショットの3打目を
難なくピンそば2メートルに寄せた、
パットは入らずボギーにするも
辛うじて1打差で逃げ切り優勝を遂げた、
コングラチュレーション
松山英樹 !!!

真間山弘法寺の桜

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2021/4/11
4月11日 朝7時半、
やけに気分爽快である、
昨日に続いて今朝も快晴、
春の柔らかい日差しが差し込んでいる、
それにも益して気分を良くしてくれる
材料がある、
ゴルフの祭典マスターズの第3ラウンドが
深夜の4時から放映されていた、
私にはこの時期必見の番組だ、
けさも眠い目をこすりながら見ていた、
3日目終了時点でなんと日本の松山英樹が
トップに立っている、
しかも2位とは4打差だ、
気分がいい、
こんな事初めてではなかろうか?
日本選手がゴルフの4大メジャーで
トップでプレーするなんてこと、
昨日2日目時点ではトップと4打差の6位だった、
それが逆転して4打差でトップに立った、
この日の松山には安定感があった、
見ていて動揺がない、
2打目や3打目の200ヤード近くの距離を
バーデイーやイーグルチャンスに寄せる、
見ていて安心感がある、
だから見る側は爽快なのであろう、
明日はどうなるか分からない、
だから今のうちに記事にしておく、
日本人初のメジャーチャンピオン誕生なるか?
そんなことになれば日本中が湧くことであろう。

シラネアオイ

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2021/4/7
23674
この数字何のことやら見当もつかないであろう、
無理もない、
当の自分でさえ エ〜 こんなに! と思った、
4月3日の土曜日
荒船山に登った、
その時歩いた歩数である、
距離にすれば凡そ4.5キロ程、
往復9キロ 9000メートルほどになる、
私の歩幅が平均60センチ、
これは散歩コースの土手に立つ
1キロごとの距離表示から算出した数値だ、
この歩幅に歩数の23674を掛けると
約14000メートル、14キロになる、
だが山道は危険が伴うために
歩幅が圧倒的に狭い、
スマホの歩数計の間違いではなかろうと
納得した、
さて山歩きの件だが
いつものメンバーに新顔を加えて
4人になった、
朝から霧雨状態の空模様、
いい景色は望みが薄いと覚悟して
9時20分から歩き始めた、
初めてのルートだ、
この山は遠くから見ても頂上付近が
プレート状になっているのですぐ分かる、
頂上の標高が1423メートル、
登山口で950メートル、
およそ500メートルの標高差を
4,5キロで登るのだから歩きやすい、
久しぶりに眺望もないまま
霧にかすむ山道を歩いた、
12時 頂上着、
昼食、
12時半 下山開始、
14時 到着、
あ〜 今日もいい運動をした。


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2021/4/5
千葉県市川市にある手児奈堂を訪れた、
手児奈に関しては当ブログの
2020年11月7日の項で取り上げた、
この記事を市川市に住む同級生のタカさんに
メールにして送ったことから
案内するからぜひ来いと招待を受けた、
彼の奥方は同級生の妹さんで
あることから親近感があり過去にも
数回泊めてもらっている、
核家族化して住まいも狭くなっている当節
個人の家庭に泊まるなんてことは滅多にない
事ではあるが彼の家庭は居心地が良くて
ついつい迷惑を顧みない結果になってしまう、
有難いことだ、
泊って翌日タカさんを伴って手児奈堂に出かけた、
彼自身は手児奈の名は知ってはいたが
訪れたことはないと言う、
小さな祠程度の建物を想像していたが
意外と立派なお堂だった、
お堂のある一帯は公園になっていて
池もあり古木の立ち並ぶ中で
満開のしだれ桜がひと際目を引いた、
手児奈堂公園に隣接した丘の上に
真間山弘法寺と言う
由緒正しき(?)大寺院があった、
境内はちょうど桜の見ごろで
謂れの有る大木もあり
カメラに収める人の姿や散歩する
人影も少なからず見受けられた、
この寺も手児奈堂も紹介しきれないほどの
歴史や事跡があるが
地元の人々にとって誇りとなっている
万葉顕彰の三碑は住宅街にありながら
存在感がある、
「つぎはし」
「真間娘子基」
「真間の井」
迂闊にも真間の井は見落としてしまった。


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2021/4/2
数日前友人Kさんから電話をもらった、
彼の奥方がここのところ体調がいいので
どこか車で連れて行ってくれないか
と言う内容であった、
彼の奥方は私の妻の親友で現在療養中、
悲しいかなステージ5の癌を患っている、
手術を受けたが完全には取りきれず
抗がん剤の治療を受けている、
治療も2年が経ち現在は治験薬の
投与をうけていると言う、
前々から遊びと言うと誘い合って出かける
間柄だったので見るに忍びない思いだ、
そんな彼女だが聞くところによると
コロナの外出規制も重なって
ストレスが最大に達しているらしく
夫のKさんに当たり散らしているらしい、
そこで私に助けを求めてきたという訳だ、
一も二もなくOKしてエイプリルフールに
Kさん夫妻と私の妻も伴って4人で出かけた、
K夫人はドライブが好き、
ちょうど桜のシーズン、
私の希望も加わって
山梨県北杜市の
神代桜を見に行くことにした、
北杜市までは最短でも150キロ程の距離がある、
高速道は遠回りになり3時間程かかる、
一般道を選択して
Kさんの家を10時に出た、
秩父市〜雁坂峠〜甲府市〜北杜市、
ナビに導かれ迷うことなく14時過ぎに到着、
神代桜は天然記念物になっている老木だが
実情は根本付近は大きく朽ち果てて
わずかに生きている幹は数本に枝分かれして
沢山の支柱に支えられた姿で
やっと生かされている感が強い、
カメラのファインダーを覗きながら
切なさを感じてしまった、
以下は検索で得た北杜市が
ネットに上げた神代桜の案内である、
ーーー山高神代桜(じんだいざくら)は
武川町の実相寺境内にそびえる、
福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ
日本三大桜の一つです。
推定樹齢1,800年とも2,000年とも言われる
エドヒガンザクラ、
悠久の時を超えて咲き続けるさまは
神々しく見る人は思わず手を合わせたくなる、
樹高10.3m、根元・幹周り11.8mもあり、
日本で最古・最大級の巨木として、
大正時代に国指定天然記念物第1号となりました。
また、平成2年には「新日本名木百選」
にも選定されています。
伝説では神話の倭建命が東征の折に植えたと言われ
名前の由来になっています。
また13世紀頃日蓮聖人がこの木の衰えを見て
回復を祈ったところ再生したため、
「妙法桜」とも言われています。ーーー


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2021/3/29

今でこそネットで検索すれば殆どの疑問は
瞬時に知ることが出来る、
そんなことが可能になる以前
私は車で下町と言われる葛飾あたりの
江戸川の橋を渡りながら
“そういえば江戸川の源流は何処なんだろう?”
と疑問に感じたことを思い出した、
首都圏を流れて東京湾に流れ込む大河で
多摩川は奥多摩の山々の水を集めて
東京湾に流れ込む、
荒川は奥秩父にその水源をもつことは知っていた、
だが江戸川の水源は思い浮かばなかった、
検索によると
江戸川の歴史は一筋縄ではなく
かなり複雑な経過をたどっている事を知る、
西関東や北関東の山々に降った雨は荒川か
利根川に流れ込んでいる、
特に広大な流域面積を有する利根川は大雨の度に
江戸の町に甚大な被害をもたらした、
そこで江戸に拠点を構えることになった徳川家康は
利根川の流れを変える大事業に着手し完成させた、
そんな経過を経て誕生したのが江戸川である、
江戸川は関宿で利根川と分流する、
分流地点には関宿藩という幕府とつながりの深い
親藩が水運を支配し北方の守りを固める
一役を担っていた、
写真の城は当時のものとは全く別物ではあるが
この城と富士山のコラボ写真は秀逸で
何時か撮りたいと常々思っていた、
この日残念ながら富士山は見えなかった。

菜の花で埋め尽くされた江戸川の堤防

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2021/3/27
幸手市の権現堂堤の桜を撮影に行った、
幸手は埼玉に属するが千葉や茨城との
県境に近くわが家から60キロほどの距離がある、
高速を使って2時間、
一般道では3時間と踏んで6時に家を出た、
最近体力が落ちているので一般道では疲れて
動けなくなるのではと迷ったが
急がねばならない道中でもないので
結局一般道を走ることにした、
ラッシュの時間帯より早めであったので
比較的スムーズに目的地まで走れた、
ナビに導かれて8時には到着した、
コロナで外出自粛要請が効いているのか
時間的に早いためか駐車場もガラガラ、
早速カメラを片手に撮影にとりかかった、
堤の桜はまだ5分咲き、
堤に沿った菜の花畑は満開、
菜の花と桜のコラボがいいのであろうが
菜の花が勝ちすぎて
桜が冴えない写真になってしまった、
桜が植わっているのは堤、
当然そばには川が流れている、
その川に架かる橋とコラボさせて桜を撮った、
白い橋脚が青空に映えていい具合だ、
2時間ほど撮影して次の撮影地関宿城に向かった。


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2021/3/20
有り余る時間を潰すのに
頭を悩ますのが老いの暮らしだ、
ましてや今日(3月18日)は寒さが緩んで
家でうじうじしているに忍びないほど
いい天気、
妻とその友人を車に乗せて
セリ摘みに出かけた、
セリの佃煮は妻の得意料理、
おすそ分けを待っていると言う
知人がいるほどだ、
かくしてセリ摘みは我が家の恒例にもなっている、
自宅から20分ほどの山裾を目指した、
あぜ道を歩くのが心地よい、
鶯の声が聞こえる、
山から沁み出た水がわずかな
流れとなっている小川があった、
近づくと案の定
セリの群生を見つけて腰を下ろした、
前かがみになるのが苦しい、
それにも益してセリを食む季節感は捨てがたい、
ふとこんな歌が脳裏に浮かぶ、
“絵日傘をかなたの岸の草に投げ
渡る小川よ春の水ぬるき”
高校生のころ国語の授業で習った
与謝野晶子の歌だ、
抒情性がたまらなく好きで私の愛詠歌の一つ、
2時間ほど身をかがめた苦しさと
格闘しながらセリを摘んで終わりにした。

スカイツリーから見た新宿方面

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2021/3/16
黒斑は浅間の外輪山、
標高2404メートルの黒斑山に登った、
登山口の車坂峠(1980M)は
高峰高原の入り口でもあるので
夏冬を通じて観光客が多い、
ここからの黒斑山の標高差は420メートルで
歩行距離はおよそ2000メートル、
登り始めたのは9時50分だった、
3月中旬のこの付近は未だ一面の銀世界、
積雪は50〜60センチほどもある、
私にとっては初めて雪山登山で
滑り止めの対策をしなければ登れやしない、
アイゼンをつけるのは初めてだ、
同行の2人の山おばさんが
付け方を丁寧に教えてくれた、
登山道に入ってザクッザクッと
踏みしめる雪の感触がいい、
吹き付ける風が冷たい、
この山には夏は登ったことが有るけど
その経験は全く通用しない、
雪の上につけられたふみ跡をたどっていくだけだ、
時折他のパーティーと遭遇し挨拶を交わす、
どういう訳か女性が多い、
なかには単独行動の若者も見かける、
聞けばこの山はそれほど危険なところもなく
雪山入門に適しているらしい、
初めは快適さを感じていた雪山歩きも
アップダウンがきつくなるとやはり神経を使う、
急な下り坂ではベテランに倣って
一気に尻滑りで下りていく、
童心に帰った気分だ、
“トーミの頭”と名付けられた浅間山を眺める
絶景ポイントで休憩、
コンパクトカメラを取り出して
風景を撮りまくった、
疲労も溜まってきた、
俺の体力でもつのだろうか?
不安が頭をよぎる、
天気がいいのでゆっくり行けば
何とかなると自分に言い聞かせる、
2人のおばさんがやけに楽し気で元気なのが
癪に障るが仕方がない、
これが経験の差と言うものであろう、
12時半ごろ黒斑山の頂上に到着、
ハイタッチを交わして登頂を喜び合った。


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2021/3/11
“老いを楽しむ”
なんて強がりに思えるであろう、
強がりでないとは言わない、
だが老いることに楽しみがないわけでもない、
そこは考え方次第であろう、
どうせ考え方次第なら
悲しんだり寂しがったりするよりも
楽しみをみつける方が得である、
確かに老いることで失うもは大きい、
だから寂しい思いが先に立つ、
体力や気力の衰えは補いようがない、
70歳台後半に入って特に感じるのが
視力や聴力や運動機能の持久力であろう、
70歳ころまではそれほど感じなかった、
ところが最近は大いに感じる、
それが自然の成り行きであろう、
だがそれを悲しんでばかりいても仕方がない、
世間の風潮は老いを卑下しがちなのが気になる、
老いは誇る事でもないけれど
卑下すべきことでもない、
自然の成り行きだから
受け入れればいいだけのことだ、
ところがこれが受け入れられなくて
マイナス思考に陥りがちだ、
ここで右往左往しないで
覚悟を決めるべきなんだ、
老いて得るものは必ずある、
それを探すか探さないかで
老いの暮らしは楽しくもなり
寂しくもなるのではなかろうか?
そんなことが頭をよぎる今日この頃である。

善光寺三重塔

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2021/3/2
ノビさん(野火止用水の近くに住んでいるので)
体調がいいようで何よりです、
私はあまりよくない、
昨年の2月に両目の白内障の手術した、
よく見えるようにはなったけど
絶えず充血して安定しない、
頭もぼーっとした感じで
しゃきっとしたところがない、
耳は耳でテレビドラマの音声が聞き取れず
ストリーについていけない、
年齢を重ねる寂しさを感じています、
人間はこんな感じで実社会から
遠ざかっていくんでしょうね?
今のうちに充実感の持てる
何かをやらなくてはと焦りを感じています。
それでいて何もできない無力感、
ああ〜
と言っても何もやってない訳ではない、
世間はコロナ騒ぎの中で自粛を強いられているが
幸いこちらは田舎住まい、
蜜になるのは妻のお供で
スーパーに買い物に行く時くらい、
月2回程度にゴルフもやってる、
カラオケもやってる、
山歩きもやってるけど
イマイチ体調がよくないのであまり楽しめない、
御同輩は
如何かな?

渡良瀬遊水地の朝

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2021/2/24
78歳にしてアルプス縦走、
と言っても公称ではないと思うけど
日本にアルプスと名の付く山脈(?)は
各地にあることをご存じだろうか?
代表格は
北アルプス、南アルプス、中央アルプス、
これらは登山の山として知られている、
縦走ともなれば大掛かりな装備を必要とする、
一方で健康志向の高まりに応じて
高齢者でも歩けるように整備されたのが
各地の名を冠したアルプスだ、
代表的なものに神奈川には鎌倉アルプスがあり
埼玉には長瀞アルプスがある、
これらは平野部に近くてアクセスのいい
標高も200〜300メートル
高い所でも400〜500メートルほどの
山の連なりに設定されているので
高齢者でも手軽に行くことが出来る、
わが群馬にも富岡市の名を冠した
富岡アルプスがある、
キャッチフレーズは
“日本一美しいハイキングコース”だ、
主峰の神成山の標高は321メートル、
この山を中心に九つの峰の連なりで
距離にすれば2キロメートル弱、
これが富岡アルプスだ、
山沿いに私鉄の沿線が伸びているため
車がなくても行くことが出来る、
付近には遺跡発掘中の看板があり
各峰々には往時を偲ばせる野仏が祭られている、
我ら一行3名はいつものメンバーで
私を除く2人は山のベテラン、
出発地点の宮崎公園の駐車場に車を留めて
歩き始めたのが9時半だった、
スタート地点に中学校がありそこに昔は
宮崎城と言うお城があった旨の
看板が立っていた、
学校の塀沿いの道はやがて山道となり
里山の雰囲気を存分に漂わせていた、
道が登りとなり息切れするころには
峰のピークに達する、
これを繰り返すこと9回で終点の
竜王山頂上、
その先は切れ落ちて断崖だ、
1時間半ほどで到着、
冷たい風が吹き付けるので南面の
日溜りを見つけて弁当を広げた。
この山は
ゆっくり歩いても往復4時間
途中で翁草(おきなぐさ)の自生地の
看板を目にした、
高齢者にとって最高のもてなしをしてくれる
このアルプスに花の咲く季節また来てみたい。

アルプスの終点竜王山から信州方面

神成山ピークから高崎方面

なだらかな山道

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2021/2/20
(失われたブログ2007年版の再録)
会社の同僚AさんとTさんの所属する
藤岡混声合唱団の20周年コンサートを
同僚3人と聞きに行った、
入場無料の市民合唱団のコンサートゆえ
聴衆は団員の友人、知人、親戚縁者の動員であろう、
肩の凝らない長閑なコンサートだ。
Aさん、Tさんには俺の所属する前橋第九合唱団の
コンサートには毎年来てもらっていることもあり、
また2人とはよくコーラスの楽しさ
難しさなどを話あっている間柄なので
楽しみにしていた、
会場は藤岡市の「みかぼみらい館」小ホール、
450席ほどの7割の席は埋まっていた。
午後1時半開演、
1部は宗教曲4曲「アヴェ.マリア」他
少々歌いこみ不足(?)
と言うより無理があると言うのが実感だ。
団員の何人がこの曲をイメージ出来るだろうか?
意味が通じなければ情感は出ない、
ミッションスクール系の合唱団ならいざ知らず
宗教曲を入れるならせいぜい1曲か2曲程度に
留めておいたほうがいい。
ハーモニーや旋律の美しさを引き出すには
力不足は否めない。
2部
沖縄の歌4曲 「さとうきび畑」、「涙そうそう」、
「花」、「芭蕉布」
誰もが知っている曲だから反応があるのだろう
のびのび歌っている感じがした。
15分の休憩前に会場全員で
「もみじ」と「あかとんぼ」を歌った。
3部は
ボニージャックスが合同コンサートで歌ったという
知的障害児の詩にボニーが曲をつけた歌4曲
詩を朗読してその後歌うという形、
これも障害児の独特なものの見方感じ方の
雰囲気があってよかった、
ボニーの目の付けどころにも拍手である。
4部 川シリーズ、
「美しく蒼きドナウ」、「モルダウの流れ」、
「ローレライ」、「アムール川の漣」
面白い選曲をしたものだ、
川シリーズとは、
それぞれに名曲で知られている曲、
歌いこんでいると見えて
気分が乗っているのが分かって
聞いていても気持ちよかった。
2時間ほどの時間はたちまちの内に
過ぎてしまった。
このように歌を楽しむ人口が
もっと増えたらいいと思った。

箱根十国峠付近から冬の富士山

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2021/2/18
「大和し美し」
読みは“やまとしうるわし”とよむ、
これが本のタイトルであることは前に書いた、
(1月30日 誕生日の記録の項)
予備知識抜きに読んでも“大和の国は美し”
くらいには解釈できるであろう、
だが本のタイトルに選ばれた言葉だ
それほど単純なものであるはずがない、
由来を知れば知るほど奥が深いことに気付く、
興味を感じて調べてみた、
この言葉の出どころは「古事記」にある、
あの倭建命(ヤマトタケルノミコト)がふるさとの
大和を偲んで残した絶唱歌の最後の下りなのである、
曰く
“大和は 国のまほろば たたなづく
青垣 山隠(こも)れる 大和し美し”
今では使われることのない言葉の数々で
少々理解しづらいが概ね次のような意味だ、
「大和の国はとても住みやすい所だ、
重なりあう青い垣根のような山並み、
その中に隠れているような大和は、たいへん美しい」
このような意味合いのヤマトタケルの絶唱歌が
大和盆地を通る“山野辺の道”沿いに
川端康成の記念碑として
建てられているという、
この記念碑が建てられるに至った経緯が
「大和し美し」の本に書かれている、
一面俗っぽい舞台裏を覗くようで
些か興ざめしないでもないが
半面今となっては川端康成の絶唱にも思われる
存在なので紹介しよう、
発端は三輪山をはじめ大和三山のある言わば
古代大和政権の中心地(?)
今の桜井市の観光課が町おこしに
各界の文化人に記紀万葉から歌を揮毫してもらい
それを石碑に刻んで山野辺の道のほとりに
設置することを決めた、
川端康成にも依頼して一旦は彼も引き受けた、
建立予定地である三輪山の麓
檜原神社下の井寺池付近の視察も済ませた、
そして後日約束の書を受け取りに行くと
苦渋に満ちた声で拒絶された、
“米田(桜井市職員)さんが考えているほど
この川端は偉い人間ではありません、
古代の英雄である倭建命の格調ある歌を
私が書くのに相応しいとは思えません”
と言って書くことを拒んだという、
それは1972年の3月のこと、
そして川端康成は4月16日に書どころか
遺書さえ残すことなく自裁した、
桜井市側は困り果てて秀子夫人と相談の上
ノーベル文学賞受賞講演「美しい日本の私」の
原稿から集字して11月に碑は完成した。
旧友東山魁夷は述懐する、
“倭建命の絶唱を選んだこと自体
川端さんは既に死を覚悟していたのではないか”と。
3年後“美”について親しく語り合った
東山魁夷の記念碑も近くに建立された。

城ヶ崎海岸から伊豆大島

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2021/2/11
山の散歩を楽しんでいる、
近所の土手など平地歩きは飽きてきた、
暫くは
丘と言うには高すぎて
山と言うには低すぎる
隣町の庚申山まで車で出かけて
歩いてみたが人が多い、
挨拶に煩わしさを感じるほどだ、
挨拶を交わして気持ちいい奴もいる、
声をかけても無反応な奴もいる、
そんな時後味の悪い思いをする、
そこでもう一足伸ばすことにした、
車で30分、
同じ高崎市内だが吉井町の牛伏山、
標高490メートルほどの頂上付近には
観光用のお城がある、
アジサイの季節には観光客でにぎわう、
度々車で来ているが山を歩いたことはない、
中腹の駐車場に車を留めて歩いて登った、
コースも幾つかあるようだ、
散歩にはちょうどいい、
頂上まで30分ほどかかった、
お城の展望台からの眺めはバツグン、
赤城山や榛名山と妙義山の上毛三山が
この地を取り囲んで聳えている、
東方遥かかなたには筑波山が
薄靄に透けてわずかに見える、
山の散歩は季節も感じられ
気分転換にお勧めだ。

牛伏山の展望台

正面左寄り赤城山

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