2007/4/10
ベレンに帰って来た俺は大事な目的を忘れていることに気付いた。
「カランケージョ(泥カニ)食ってねーよ!」
何故、ここまで泥カニこだわるのか。
それは俺の旅がおおいに小説家開高健に影響を受けているからである。
さすらいの釣り旅は「釣り上げる」という大きな目標があるがそれがすべてではない。その国の風習、生活、気候、国民性すべてを体感するのも大事なことであり、またそれがなければ絶対に成功しない。
「木をみて森を見ず。」ではダメなのだ。
釣り雑誌だけを読んでる人。
熱帯魚雑誌だけを読んでいる人。
アウトドア雑誌だけを読んでいる人。
小説だけを読んでいる人。
井の中の蛙。
では無理なのだ。
すべてをバランスよく自分で消火し、高潔なる貪欲な精神で向かわなければ「大物」と出会うことは出来ない。
そう。何もないところから始まり釣り竿ひとつで地の果ての原生林に迷い込むには偏った人間には無理なのである。
知り合いに三人このさすらい釣り旅をしている人がいるが、みんな人間の本質的な部分で尊敬できるところがある。
そういう人間は「魂の言葉」を何気なく言ってのける。
このジャンルの旅は人間力のない人には出来ないし、する理由も見つからないだろう。
その憧れの元になった「オーパ!」という著書で開高さんはおいしそうに泥カニの殻を山積みにして陶酔していたのだ。
「このカニの泥を見て唾のわかない人は人生も芸術も語れない。」
そう言われてまでこいつを食さずに帰ることはできない。
それを察してかキドサキさんは市場で買ってくれた。
一緒に散策した魚市場のひと時は大変楽しいものであった。
とうとう食うんだ。
奥さんに湯掻いて頂き、モーリョデピンメタ(トウガラシの息子という意)という薬味をかけ口に含んだ。
その瞬間、口の中に泥というのか土というような大地の味がいっぱいに広がった。
身はほとんどなくミソを主に食べる。
コノワタのような滋味深さである。
こりゃ日本の酒飲みが飲んだらこたえられんだろう。
完全に和の味だ。
そこにモーリョデピンメタの黄唐辛子の辛さと酸味がよいアクセントとなりやめられない止まらない。
拝啓開高さん。 「確かに。」


「カランケージョ(泥カニ)食ってねーよ!」
何故、ここまで泥カニこだわるのか。
それは俺の旅がおおいに小説家開高健に影響を受けているからである。
さすらいの釣り旅は「釣り上げる」という大きな目標があるがそれがすべてではない。その国の風習、生活、気候、国民性すべてを体感するのも大事なことであり、またそれがなければ絶対に成功しない。
「木をみて森を見ず。」ではダメなのだ。
釣り雑誌だけを読んでる人。
熱帯魚雑誌だけを読んでいる人。
アウトドア雑誌だけを読んでいる人。
小説だけを読んでいる人。
井の中の蛙。
では無理なのだ。
すべてをバランスよく自分で消火し、高潔なる貪欲な精神で向かわなければ「大物」と出会うことは出来ない。
そう。何もないところから始まり釣り竿ひとつで地の果ての原生林に迷い込むには偏った人間には無理なのである。
知り合いに三人このさすらい釣り旅をしている人がいるが、みんな人間の本質的な部分で尊敬できるところがある。
そういう人間は「魂の言葉」を何気なく言ってのける。
このジャンルの旅は人間力のない人には出来ないし、する理由も見つからないだろう。
その憧れの元になった「オーパ!」という著書で開高さんはおいしそうに泥カニの殻を山積みにして陶酔していたのだ。
「このカニの泥を見て唾のわかない人は人生も芸術も語れない。」
そう言われてまでこいつを食さずに帰ることはできない。
それを察してかキドサキさんは市場で買ってくれた。
一緒に散策した魚市場のひと時は大変楽しいものであった。
とうとう食うんだ。
奥さんに湯掻いて頂き、モーリョデピンメタ(トウガラシの息子という意)という薬味をかけ口に含んだ。
その瞬間、口の中に泥というのか土というような大地の味がいっぱいに広がった。
身はほとんどなくミソを主に食べる。
コノワタのような滋味深さである。
こりゃ日本の酒飲みが飲んだらこたえられんだろう。
完全に和の味だ。
そこにモーリョデピンメタの黄唐辛子の辛さと酸味がよいアクセントとなりやめられない止まらない。
拝啓開高さん。 「確かに。」



投稿者:TERU