2017/11/30

4279:カウンター  

 「結婚する気はないの・・・?」

 私は、「Mimizuku」のカウンター席で一つ空けて隣に座っている「ゆみちゃん」に訊いた。カウンターの右端に置いてあるオレンジ色をした「パタパタ時計」が標示している時刻は「PM 7:15」であった。

 しかし、この時計は大概ずれた時刻を表示している。カウンターの上に置いていたスマホの電源ボタンを軽く押すと画面は明るくなりその真ん中に時刻が表示される。「19:07」と表示された。

 「ちょっと怖くて・・・あんまり結婚願望ないのかも・・・」彼女はそう答えた。

 「怖いって・・・上手くいかないかもってこと・・・」

 「う〜ん・・・そうじゃなくて、子供を産むことが怖いのかな・・・」

 「えっ・・・子供・・・?」

 「弟みたいな子供が生まれるかもって・・・思ってしまって・・・」

 彼女は視線をカウンター席の向こう側、キッチンの壁に固定するようにして、家族のことを話し出した。

 彼女の弟は自閉症である。かなり強度の行動障害があり、コミュニケーションもほとんど出来ないようであった。

 彼女の両親は2歳年下の弟のことで大変な状況が続いて、彼女自身はあまりかまってもらえなかったようである。

 彼女の出身地は和歌山である。地元の大学を出た後、就職で東京に出てきたのも、弟の居る実家を出たかったと以前話していた。

 自閉症の原因ははっきりとが分かっているわけではない。先天的な脳機能障害で、遺伝的な要素も大きく関連している可能性が高いようである。

 「遺伝的なものが関わっているのかな・・・」私が呟くようにそう言うと「一卵性双生児で片方が自閉症である場合、もう一方も自閉症である確率は9割を超えて、二卵性双生児だと4分の1。兄弟姉妹の場合、一人が自閉症と診断された場合、兄弟姉妹が自閉症である割合は一般よりもかなり高いそうです。」と彼女は話した。

 自分の弟が自閉症であることは彼女の心に一つの重しのようにのしかかっているようであった。「自分の遺伝子が、自閉症の子供産む可能性が一般よりも高いものだとしたら、やはり少し怖いですよね・・・」彼女は静かにそう話した。

 カウンター席の真ん中あたりにはSONY製の古いラジカセが置かれている。そのカセットホルダーの中には一本のミュージックテープが入っていた。

 そのミュージックテープは、4.76cm/秒のスピードでヘッドの上を通過していた。そしてその小さなスピーカーからは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が控えめの音量で流れていた。

 少し重くなった雰囲気を変えようとたのか、彼女は少し明るいトーンで話し始めた。「実は先日面白い店を見つけたんです。いわゆる『名曲喫茶』って言うんですか・・・とても古そうで・・・場所は高円寺です。まだ、入ったことがなくて、前を通っただけなんですが・・・いつか行ってみたいなって思っていて、もしよかったら一緒に行きませんか・・・?」




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ