2014/9/22
3110:スティルス
その作戦の遂行にあたって決定的に不利なことに、私の愛車にはスティルス機能が欠如している。そっと背後に忍び寄ることなど全く不可能なのである。
私のエンジンは、その排気と吸気のために大きな音量を発っする。その音は遥かかなたにまで達っしてしまう。前を行くメンバーは後ろを振り返ることなく、こちらの位置を明確に把握することが可能である。
そして、その給排気音の音量の変化によって、私の位置が20メートル後方かあるいは10メートルぐらいまで近付いているのか、すっかり分かってしまうのである。
残り500mほどであろうか、間合いが詰まった瞬間、前を行くメンバーはペースをぐいっと上げた。一旦詰まったかに思えた2台のロードバイクの差はあっという間に広がった。
私はふと小学生の頃の夏休みのことを思い出した。わたしの手には虫取り網がしっかりと握られていた。そして肩からは虫かごが斜めにつるされていた。私の目は桜の大木につかまって盛大に鳴いている蝉を捉えていた。そしてその蝉めがけ、ゆっくりと虫取り網を近付けつつあった。しかし、セミは何かの気配を感じたのか、さっと飛び去った。
その時の蝉の飛び去る後ろ姿のように青いBHはさっと飛び去った。私の手には虫取り網が握られたままであった。それは無用の長物のように空をさまよっていた。
私の脚にはそのスパートについていける余力は残っていなかった。ゴール直前のスプリント勝負であれば対抗できる可能性があるが、残り500mのロングスパートに耐えうる脚の状況ではなかったのである。
差は元のとおり20m以上開いた。スパートはかけられずに同じペースで残りをこなした。ヤビツ峠10kmの長い上りは終わった。
峠の頂上には数多くのローディーがいた。さすがに人気の高い峠である。峠の頂上でしばしまったりとした時間を過ごした。時間が経過すると汗が冷えてきた。おもむろにウィンドブレーカーを着こんだ。

帰りは裏ヤビツを下った。こちらは道幅が狭い。その割には車が多く、結構気を使う。2度ほどすれ違えずに立ち往生している車の後ろで待たされた。
下りであるが少々脚を使う裏ヤビツである。しばし下っていくとようやく宮ケ瀬湖に到着。ここは多くの店が並び観光客も多い。そこで小休止。ヒルクライムとは別世界の穏やかでまったりとした時間と空間を享受した。ついさっきまで限界心拍数で歯を食いしばっていたのが遠い昔のように思える光景である。
まだ50km以上走らなければ家には辿りつかない。それは厳然とした現実であるが、そんなことをしばし忘れさせてくれる穏やかな時間であった。
私のエンジンは、その排気と吸気のために大きな音量を発っする。その音は遥かかなたにまで達っしてしまう。前を行くメンバーは後ろを振り返ることなく、こちらの位置を明確に把握することが可能である。
そして、その給排気音の音量の変化によって、私の位置が20メートル後方かあるいは10メートルぐらいまで近付いているのか、すっかり分かってしまうのである。
残り500mほどであろうか、間合いが詰まった瞬間、前を行くメンバーはペースをぐいっと上げた。一旦詰まったかに思えた2台のロードバイクの差はあっという間に広がった。
私はふと小学生の頃の夏休みのことを思い出した。わたしの手には虫取り網がしっかりと握られていた。そして肩からは虫かごが斜めにつるされていた。私の目は桜の大木につかまって盛大に鳴いている蝉を捉えていた。そしてその蝉めがけ、ゆっくりと虫取り網を近付けつつあった。しかし、セミは何かの気配を感じたのか、さっと飛び去った。
その時の蝉の飛び去る後ろ姿のように青いBHはさっと飛び去った。私の手には虫取り網が握られたままであった。それは無用の長物のように空をさまよっていた。
私の脚にはそのスパートについていける余力は残っていなかった。ゴール直前のスプリント勝負であれば対抗できる可能性があるが、残り500mのロングスパートに耐えうる脚の状況ではなかったのである。
差は元のとおり20m以上開いた。スパートはかけられずに同じペースで残りをこなした。ヤビツ峠10kmの長い上りは終わった。
峠の頂上には数多くのローディーがいた。さすがに人気の高い峠である。峠の頂上でしばしまったりとした時間を過ごした。時間が経過すると汗が冷えてきた。おもむろにウィンドブレーカーを着こんだ。

帰りは裏ヤビツを下った。こちらは道幅が狭い。その割には車が多く、結構気を使う。2度ほどすれ違えずに立ち往生している車の後ろで待たされた。
下りであるが少々脚を使う裏ヤビツである。しばし下っていくとようやく宮ケ瀬湖に到着。ここは多くの店が並び観光客も多い。そこで小休止。ヒルクライムとは別世界の穏やかでまったりとした時間と空間を享受した。ついさっきまで限界心拍数で歯を食いしばっていたのが遠い昔のように思える光景である。
まだ50km以上走らなければ家には辿りつかない。それは厳然とした現実であるが、そんなことをしばし忘れさせてくれる穏やかな時間であった。