2013/5/28

2630:結末  

 西武新宿へ向かう急行列車のなかで、宅間孝行著「くちづけ」を読み始めた。出だしから少々虚を突かれた感じであった。知的障害者である「う―やん」の様子が生き生きと描かれていて、すっと心の中に入り込んでくる。そして、いきなり物語のラストの悲しい出来事が予告のように何気なく告げられる。

 「その夜、マコちゃんが死んだ。」

 この小説は映画化されて現在上映されている。小説を読み終えて、映画を観てみたいと思う反面、観ない方がいいのかも、とも思う。

 ストリー展開や登場人物など、とても映画に向いた作品である。読んでいても映像が鮮明に浮かび上がってくる。しかし、実際に映画を観ると自分が頭の中のスクリーンに勝手にイメージしていたのと違うな・・・という印象を持つ可能性も高いような気がする。

 それに、これは小説もそうであるが、映画もきっと涙なしでは観終えることは不可能な作品であろう。小説であれば、人知れずですむのであるが、映画館の中ではいい歳の中年オヤジが明るくなった館内で涙をあわてて拭う姿はみっとも良いものではない。若い女性なら様になるのであるが・・・

 物語はいろんなエピソードが次々に展開する形で描かれてゆく。「うーやん」とその妹の「智ちゃん」を軸といて展開していたところに、「マコちゃん」とその父親の「いっぽん」が絡み合い、そして予告された結末へ向けて、収束していく。その流れはなだらかになったり、急になったりしながら、確実に一つのところへ向かっていく。

 心の中ではその収束地点に向かわないで欲しい、という気持ちを持ちながらも、読み進まざるを得えない。

 本を読んだり、映画を見たり、あるいは音楽を聴いたりして、心情を大きくゆすぶられて涙を流すことは、精神衛生上良い影響があると聞いた覚えがある。

 感動の涙は心を浄化する作用があるようである。そういう観点からすると、この「くちづけ」は精神衛生上とても良い効果をもたらしてくれる。

 物語の二つの軸をなす「うーやん」と「マコちゃん」は知的障害者である。精神年齢は小学生の低学年ほど・・・永遠の子供たちである。

 その永遠の子供たちの純粋さが、心の中に妙に染み込んでくる。現実の時間の中で干からび、ひび割れている私の心の中にも、その純粋な水はすっと流れ込み、吸い込まれていくのである。

 「くちづけ」を読み終えて、ふっと「星守る犬」を思い出した。こちらは原作は村上たかしの漫画である。映画にもなった。私が読んだのは原作の漫画を原田ハマが小説として描いたものである。

 こちらはも物語の結末が、冒頭に一つのエピソードとして予告されていた。その結末に向けた物語は流れ出す。避けられない結末に向けて・・・

 どちらの物語も心温まるものでありながら、予告された結末が常に影のようになり、その様々なエピソードや描かれる風景を縁取るかのようである。

 そして、読者は予告されていたとはいえ、その「結末」に最後には向き合わなければならない。多くの人は涙を流しながら向き合うことになってしまう。

 たとえ、その涙が精神衛生上読者の心を浄化する良い作用があるとしても、「いや、こんな結末は違う・・・違うべきだ・・・」と心の反作用が生じる方もいるはずである。私もそうであった「いっぽん・・・それは違う・・・違うよ・・・」そんな心を呟きがどうしても漏れ出てしまった。

 映画を観たいような・・・観たくないような・・・そんな迷える気持にさせる小説であった。




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