2009/11/27

1353:彦摩呂  

 彦摩呂はグルメレポーターとして独自の地位を築いている。しかし、その仕事故か恐ろしく太った。まさにはち切れんばかり、パンパンである。針でつついたら、7回裏の甲子園球場の夜空を「ピュ〜ン」と甲高い音を立てて、飛び回りそうな感じである。

 彦摩呂の決めぜりふは「まるで○○の○○や〜!」と、独特の関西風のイントネーションでいう比喩である。

 「もつ鍋界の世紀末覇王や〜!」「納豆のテーマパークや〜!」などなど、その決めぜりふはユニークなものが多い。

 今日はストラビンスキーの「春の祭典」をCDで聴いた。演奏はワレリー・ゲルギエフ指揮 キーロフ歌劇場管弦楽団である。

 ゲルギエフの風貌は一種野生的である。いかにもダイナミックで力強い演奏をするような印象を受ける。

 そして、このストラビンスキーの春の祭典はっそういった点では一番向いているような気がするのである。その音楽は前衛的であるとともに、複雑なリズムが折り重なり、不協和音が咆哮し錯綜する原始的で呪術的な印象すら受ける。

 ゲルギエフはその根元的な不気味なまでのエネルギーの噴出を見事にみせてくれる。このCDを彦摩呂が聴いたならば、なんと喩えるであろうか?

 「クラシック界のレッド・ツェッペリンや〜!」とでも言うのかもしれない。ゲルギエフは確かに髪を長髪にし、ギターを持たせればハードロックバンドで演奏していても違和感がないような風貌をしているのである。

 我が家にはもう一枚「春の祭典」のCDがある。エサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンジェルス・フィルハーモニックの演奏のものである。

 こちらはゲルギエフ盤とは好対照な印象を受ける。「春の祭典」がきわめて理知的にきっちりとした構成を保ちながら演奏される。一言で言うと「クール」・・・決して悪い意味ではない。

 こちらはこちらですばらしい。「ホット」VS「クール」といった構図であるが、指揮者の風貌と演奏から受ける印象がこれほど一致するケースも珍しい。

 「人は見かけによらない・・・」と言われることが多いが、この2枚のCDを聴いて、そしてその指揮者の風貌を写真で確認すると「演奏は見かけ通りかも・・・」といった印象を持つのである。



2009/11/29  0:32

投稿者:tao

pontaさん、こんばんわ!

ゲルギエフは確かに凹凸をくっきり出してきます。そこが「春の祭典」のような曲の場合は、はまるような気がします。

この曲の原始的で呪術的な要素が「これでもか!」といった具合に撒き散らされる風情は結構爽快です。悪く言えば「品がない・・・」となってしまいますが・・・

2009/11/28  7:59

投稿者:ponta

>ゲルギエフは確かに髪を長髪にし、
無理だと思います。
それはさて置き、この人、音楽の凸凹を強調し、判り易くしてくれているは有難いことかも知れませんが、結果それが下品になってしまっているので、小生は?と思っています。以前ご一緒したDolon邸で小澤と続けてかけて戴いて、生理的に合わない理由がその時判りました。
逆に小澤は、のっぺりとした演奏で、あ〜この人だから受け入れない人がいるんだ〜と理解しました。
自宅で気づかないのは悲しいですが。


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