現在進行形で、日本中で新型コロナウイルスと悪戦苦闘しておりますが、近代においても、日本人は感染症と戦ってきております。例えば江戸期においては、疱瘡(天然痘)や麻疹(はしか)などが、感染病として特に恐れられていたようです。当時は目に見えない菌やウイルスが媒介するとはまだ判っていない状況ですが、人から人に広がる伝染病であるとは感じていたと思われます。それで、見えない病原を妖怪として、形として見えるようにした一例が「
疱瘡神」(
2015/6/26の記事参照)であります。興味深い図画として、浮世絵師「
歌川芳員」の『
麻疹養生集』があります。そのシーンは今の日本と同じ、国民の飲食店や夜の街への自粛によって生活が苦しくなった芸者・遊女・寿司屋・てんぷら屋・湯屋(銭湯)が、図の右手前にいる「
疱瘡神」に抗議しているところです。「
疱瘡神」は"もう流行らせません。"と手形を押した証文を出しておりますが・・・
今と異なるのは、医者と薬屋にも抗議しているところです。可哀想です。
ちなみに、実際に「
疱瘡神」が記した"
詫び証文"がいくつか残っております。下の画像は京都市歴史資料館蔵の『
疱瘡神五人誤証文事』の一部です。五人の
「疱瘡神」連名による反省文が書かれています。
痒い時は、ウサギの手で撫でればいいと書いてあるとの事。ウサギさん可哀想。
「
疱瘡神」に謝らせるシーンは他にも、妖怪絵師としても有名な「
歌川国芳」も『
鎮西八郎為朝 疱瘡神』に見る事ができます。下の画像はその右半分で、実際の図画には、その武威を恐れ、疫病神が退散すると言われる平安時代末期の武将「
源為朝」が左側に描かれております。ここでは「
疱瘡神」として、手形を押した老婆と子供、手の生えたダルマの他、色々な動物などが配されております。
ガキはお供えの饅頭食ってるし、犬は「テヘペロ」やし、信用ならん!
「
疱瘡神」を始め、種々の病魔と闘うシーンの図画もあります。先の『
麻疹養生集』を描いた
歌川芳員による『
諸神の加護によりて良薬悪病を退治す』です。
牛頭天皇を先頭に、神田大明神、氷川大明神、山王大権現権から稲荷大明神までの加護により、疱瘡、留飲、疫痢、便秘結などを退治するという構成です。
疱瘡は一番左にいます。ひょうひょうとして、逃げ切ってしまいそうです。
掛け声だけのお上と違い、実際に戦っているのは医療現場である事は、今と同じ・・・
さて、コロナウイルス感染の最も有効な予防策はマスクの着用ですが、江戸期の麻疹の場合はどうだったでしょうか。それは
歌川国芳の門人「
歌川芳宗」による『
麻疹を軽くさせる傳』を見ればその方法の一つが判ります。
飛沫防止に、桶を被るって、そんなアホなっ。

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