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2008/7/10

夏の自由研究 《cali≠gali》再教育  こんにちは絶望先生

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困った事に、涙が止まりません。

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涙の理由を研究してみよう!

 《cali≠gali》の【再教育】(2枚組CD)…うっかり聴くと涙が止まらなく恐ろしいCDです。

 さて、では何故泣いてしまうのか、その理由を研究してみましょう。

 まずは、詩の研究です。

 何気なく歌詞カードを読んでいる時点ではさして涙は出ません。言葉自体はあまり悲しく無い様です。しかし、《なんて素敵に成長した腐乱なのでしょう》《だけど日は暮れる…》《君には新しい僕ができて…》《花を捨てよう。咲かせられなかったけれど…》《僕の「幸せ」は悲しくて死んだ》《過保護のまま敗北すれば、幸せだよ》《僕が僕をやめること、それが一番いけない事だよと…》《あんまり嬉しくて苛ついた》《僕は正しいと思うよ》《僕がまだ人だった頃》など、所々で心臓を鷲掴まれたり、針を刺されたり、冷や水を浴びせられたり、後頭部を鈍器で殴られるような衝撃を覚えるフレーズが出てきます。

 また、楽曲について、こちらも非常にノスタルジックに幼年期の記憶、思春期の劣等感を刺激するフレーズに溢れています。

 さらに特記すべき点として、18歳からの20年間に筆者が酷く傾倒していた音楽《Der Zibet》に、《cali≠gali》リーダー、桜井 青氏も強く影響を受けていたという点においてシンパシィ的な要素が強く働くものとも考えられます。*(《Der Zibet》に関しての考察は、また別の機会に独立した研究課題としたいと思います。)

 この、合同協議的な刺激が、繊細さを装った万年思春期的ヘタレ気味な幼少期に形成されたトラウマに非常に強く作用するものと考えるワケです。

 総括

 つまり、《cali≠gali》の哭き処としての終期点は、根源的愛着や依存に対する、極めて意図的かつ、ある意志を持った上での激痛覚悟の切り捨て(パージ)に対する虚偽的痛覚刺激(ゴーストペイン)と痛みの記憶のランダム再生にあると思われます。
 故に、これらの痛みに対する心的抑圧を解消する為の代償行為として、制御不能の嗚咽や号泣が行われると考えます。

†対策として†
 これは、涙と鼻水が枯れる迄徹底的に再教育を受け、思春期の膿を出し切るべきでしょう。
 なお、トラウマの炎症の進行と化膿を避ける為、【オレンジレンジ】【SMAP】【いきものがかり】等の坑性物質の投与も効果的ですが、過度の投与は耐性が出来てしまうので注意が必要です。また、急激な過剰投与は状態をさらに悪化させる恐れがあるので、状態を見ながらの治療を続ける事が好ましいと考えられます。

 なお、【BUCK-TICK】【DER ZIBET】との服用はトラウマを悪化させる恐れがありますので、服用の際は医師の診断を仰ぐのが好ましいでしょう。

 以上、夏の自由研究でした。







 つまりは、あの日、泣きながら切り捨てた自分自身や大切なモノを、やけにリアルに思い出したり、じつは、その事に対して自分で思っていたよりも酷く深手を負っていた事に気付いてしまったのです。

 小さい頃、《感受性が強い》とか、《繊細》っていうのは《不良品》とか《出来損ない》って云われているのだと思っていました。そして、今でも少しそう思っています。

 強くなる為に感覚器間に施した麻酔はあくまで麻酔です。

 もともと痛覚が違う人々と渡り合う事や理解しあう事は無理だったのかも知れません。

 彼等は、真っ当に大人になったのかな? そして、私は永遠の思春期を選びました。

 『正しさ』について考える時、それは、あまりにも広大なそして、膨大な数の個々のフォーマットが存在している事を知りました。しかし、自由平等やら人権などと4chの「24hTV 愛は地球を救う」的、夢の理想を唱えるなら、それは各々において須く対等であるべきです。
 
 もしくは、一律に統括して評価するとすれば、《生物としての存在欲求(所謂、本能)》と《人間としての尊厳と理性的判断基準》の2サイドにおいて、別個の評価と相対的評価を行うべき、と、考えます。


 …………いゃ、マヂでどうでもいい話ですけどね。

 そーゆー事と真面目に向き合おうとして、戦い破れ、疲れ果てた敗残兵のごとき切なさや空しさ、そして、ずっと握り締めててクシャクシャの紙切れみたいになった大切だった気持ちの、墓標を見る思いです。

 でも、これは、やっぱり永遠に続く《禁じられた遊び》ゴッコなのだと思います。


 己の受けた《瑕》や《痛み》に対する意趣返し……と、云うよりは、自己治癒的な切ない柔らかさや優しさの匂いが少しだけ強かな祈りのようにも聞こえます。

 たぶん、誰に対して書いているのか、何に対して投掛けているのかも理解して貰えないと思いますが…………

 それでも、生きるのを止めない。彼等のその犯行声明的な力強さに、今でもとても励まされているんだと思います。





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