ネパールの旅日記U
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2007/3/16
「帰り準備 カトマンズに」
ネパールの旅
12月21日 帰り準備 カトマンズに
天気晴れ、5時に起きて6時に奥さんにお茶を頂き、帰る準備。今日カトマンズに移動。23日の深夜便で日本に帰る。奥さんにマナカマナで頂いたティカを額に受け、旅の安全を祈ってもらった。首に旅の安全を願う白い布を頂き、私のカアチャンにと娘さんと奥さんからお土産を頂いた。家族全員の見送りを受け、タクシーでバスターミナルに行く。
朝から久しぶりの快晴、マチャプチュレやアンナプルナは美しい。
バスは7時50分に出てカトマンズに2時前に着いた。
今日も泊まりはホテルダウラギリ。ホテルでユックリしていると急にお腹が痛くなった。ガマンしていたがたまらない、お腹の結石が暴れ出したようだ。マダ我慢出来る範囲だが、こればかしは治まるのを待つしかない。マンシンが帰ってきた。マンシンに言うと医者に行けという。ホテルの支配人と3人で医者に行ったが、システムはだいぶん違う。薬局で痛みを訴え、ロビーで一時間ほど待っていると痛みが治まってきた。石が落ち着いたようだ。順番が来た。マンシン通訳で痛みを訴えると、やはり石だろうという。痛み止めと利尿剤をもらいダウラギリに帰った。この痛みはウソのように治まる。
夕方、マンシンとアンナプルナドリーム社の支配人のバクタさんも同じバスで仕事のためカトマンズに来ていたから、三人でインド料理店で夕食を食べ、帰りにネパールディスコでネパールダンスを踊って遊んだが、ショウタンはジュースでガマンした。
12月22日 カトマンズで
昨夜は遊びすぎ。8時過ぎに起きてマンシンの部屋に行くが、マンシンは起きない。一人でパーラーに行ってモーニングを食べようとタメルの中を歩いていると、子供を抱えた女性が子供にミルクを飲ませたいがミルクを買ってくれと離れない。私の手を掴んでスーパーに入る。一箱のミルクを買ってやった。外に出るともう一人の女性がマネーと言って離れない。困った話しだ。早朝はこのような方が多い。インドからも流れ込んでいるという。パーラーに行くと2人の日本人がいた。植林ボランティアのNPOの方達です。
植林について話を聞いた。
昼にバクタさんについて行く。
23日から11人の日本の団体が、キャンプトレッキングに来るという。それのパーミッション取得と移動バスの手配等につきあい、銀行に行った。
ネパールの銀行はウソのように綺麗で、ライフルを持ったガードマンが警備をしている。銀行内を写すとガードマンがライフルを持って駆けつけてきた。
夕方マンシンさんの親戚の家に行き、ティーを御馳走になる。娘さん2人が母の帰りを待っていた。どうやら日本人の私と合わせたかったようだ。彼女たちは日本行きを希望しているという。英語が話せるが日本で生活出来るかと尋ねるが、私はNOと答えた。
夕食はタメルで知られた日本料理店、ふる里ですき焼定食を三人で食べた。
ホテルでユックリしていると、ミス・タニタが尋ねてきた。次回ネパールに来たときはタウン・ガイドや、低山ガイドはお願いしますと言う。気がつかなかったが、ポカラで彼女と同じ喫茶店にいた事があるという。片言の日本語で1時間も2時間も話した。どうやら昨夜もディスコで踊っていたらしい。
明日はいよいよ帰国日。忘れ物がないか点検して床についた。
続く
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タグ:
ポカラ
タメル
カトマンズ
投稿者: ショウタン
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