1万カウント目前に堅い話を
長文が嫌いな人のために結論から
自分の人生を認める
人はいつも、自分の人生に一定のこだわりをもって
そのこだわりの思いに囚われ
時には、運命を呪うものです
「自分には違う人生があったのではないか?」
「自分はこんな風になるつもりはなかった」
そんな風に
ところが
これは、
今の私にとっては受け入れがたい考え方ですが
運命を受け入れる、というほど大袈裟でなくとも
今の自分を認めることで
周りを認め
人を認められるかもしれない
人生についての絶対的価値にこだわればこだわるほど
今の自分を恨み、周りを恨み
人を受け入れられなくなり
また、人にも受け入れられなくなる
ところが人生の中に相対的価値を
見いだすことができれば
周りを受け入れ
人を許し
自分の中に価値を
生きる価値を見いだせるのかもしれません
・・・・
これはある友人が、今日車の中で聞いた
ラジオの人生相談の回答を話してくれて
私なりにふくらませたものです
相談の内容は、かえって話を矮小化するので書きませんが
人は家庭のこと(家族の不和とか)
仕事のこと(思い描いた仕事をできないとか)
などなど色々なことで苦境にあると
その人生が自分で選んだものであれ
そうでないものであれ
その区別もそのうち曖昧となり
愚痴ばかりの人生になる
ということ
・・・・
だけど、だけど
その友人とは
今日その話をしたときに
「自分の人生をそんなに簡単に認められることができたら
こんなに悩むことはないよね」
「なかなかできないからきついんだよね」
そんな話をしました
これほど大上段にふりかざさなくても
まあ
「気楽に考える」とか
「みんな同じだあ」とか
「こんなもんかな」とか
加えて、自分の今のきつさに
さも上乗せしているかのように思える
周りの人たちも
その人なりに
人生の絶対的価値に囚われ
もがいていることや
又逆に
相対的に上手に過ごしていることを知れば
気付けば
少しは楽になるのかもしれない
なんてことを考えていました
・・・・
いつまでもつかな
とにかく5月バラの季節です


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