見たことある感が強い。
明後日、建国70周年を迎える中華人民共和国である。
彼らは、富国強兵路線を突っ走っている。しかし、トランプ大統領との米中貿易問題ばかりではなく、そもそもの構造的な問題から、中国経済は急速に悪化しているものと思われる。その中で、今年の70周年は、盛大に威勢よく祝われると思うが、それが盛大であればあるだけ、虚しさもまた一段と感じられるものになるだろう。
中国の経済弱体化は、安全保障上の大きなリスクだ。誰にとってかと言えば、最大のリスクに直面するのが日本だろう。そもそも富国強兵から海外進出、そして軍事衝突に至るまでの道を先に歩んだのが、日本である。だから、これからの中国がどれだけ問題になるのかは、日本が最も良く分かっているはずだが、もちろんNHKのニュースなどを見る層の人々にとって、中国問題は、文字通り対岸の火であるに過ぎない。
さて、もう少し中国の体制を因数分解してみると、習近平とは誰だっただろうか。その立場を理解するためには、トウ小平から見なければならない。毛沢東の中国をすっかり変えたのがトウ小平だった。彼は、経済第一と考え、中国に必要なものは経済成長であると考えた。そして、改革開放政策を導入し、白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ、という理論を提唱し、カネ儲けだけが人生よ、という毛沢東以前の中国固有の金満思想を、その封印から解き放ってしまった。
労働者、農民の権利なんかどうでも良い、カネ儲けなら大好きだ、という連中(白い猫か黒い猫かは分からないが)が自由を与えられたのがトウ小平時代であり、その後、江沢民が10年、胡錦涛が10年国家主席を務めることによって、トウ小平思想は、まさしく現実のものとなる。
その胡錦涛の後継者争いで、どちらかと言えば目立たない無骨者だった習近平が勝利を収めたのは、おそらく夫人である彭麗媛氏の力が絶大だっただろう。彼女は軍隊歌手の頂点に位置し、少将の位を得ている人民解放軍の高官である。党は習近平が、軍は彭麗媛が抑えるかたちで、習近平体制は、2013年にはじまる。そして、習近平が最も力を注いだのは、江沢民一派(胡錦涛も含む)を権力のサークルから追い落とすことだった。これはもう、国共内戦と同じ種類のものであって、ただ戦の道具は、敵の汚職を調べ上げ、訴追し、失脚させる、という法的手段だった。これで主要敵は放逐したが、最後に残った江沢民系の支配地は、旧満州国の東北部、そして香港、マカオである、と言われる。
経済の失速は、ただちに習近平の失政、という評価に繋がる。そうなれば、江沢民派による倍返し的な報復が待っている。ここが大きなポイントである。富国強兵を推し進めた日本は、第一次世界大戦に参戦したものの、自国には大きな被害がなかった。それゆえ、もう戦争はいたしませぬ、という平和への希望を込めた国際連盟が1920年に生まれたことの意義をあまり深く考えなかったと思う。しかし、実際には1920年は、人類歴史上のターニング・ポイントであり、この時以降、国家が自由意思に任せて勝手に交戦することは禁止された。それを条約のかたちで明らかにしたのが、1928年のKellog-Briand Pactである。
ところが、それを破るとんでもない国が出現して、それがドイツと日本だった。それで、連合国は「平和を守るために」第二次世界大戦を起こし、その結果、新たに国際連合をつくった。そして、人類の平和を守るべき安全保障理事会の常任理事国のひとつになったのは、中華民国だった。結局、キッシンジャーあたりの画策で中華民国は国際舞台から引き摺り降ろされ、1971年に中華人民共和国が常任理事国入りを果たした。
さて、中国は、戦争をいたしませぬ、という国連憲章を深くその胸に刻んでいるのか、ということが問題だ。かつてのドイツや日本のように、経済成長が止まったから、他国を侵略してでもカネを儲けたい、という衝動に突き動かされることは本当にないのか。
まして習近平は、中国経済が止まれば、自分の政治生命が終了する、という瀬戸際にいるものと思われる。自分としては、中国人がかつての日本人のように愚かではないことを祈るしかないが、日本でさえ冒険主義に走ったのだからまして中国なんか、となるのか、中国人は日本人のようなカネの亡者ではないから大丈夫、となるのか、70周年を越えた中国の進路には要注目であろう。

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