昨日は、非常に久し振りなことに書店に行った。書店と言っても、アマゾンなどのネット書店ではなく、紙に印刷して製本し、表紙まで付いた西洋綴じの「本」が棚にずらりと並んでいる、あの書店である。
そこでたまたま目に付いたのが篠田英朗氏の「憲法学の病」という新潮新書の一冊だ。書名だけで納得してしまった自分はこれを購入して、本日、それを読んでみた。そして、あ〜〜〜〜〜、と叫びそうになった。
憲法第9条というのをどのように読むか、については、ほぼ50年間くらいいわゆる憲法学者の「通説」に従って、うっかりそれを信じていたのだが、この国際政治学者によると、通説の憲法学というのは、国際法の基本的知識から見て、非常に間違っており、いつまでもその間違いが正されないまま、やれ集団的自衛権というような話になって、安倍政権による「解釈改憲」という議論が沸騰するにいたったので、これは黙っているわけにもいかない、ということで、憲法学批判をはじめた、というわけである。
その主張は、こうだ。憲法第9条は、不戦、戦力の不保持を謳っているのだが、これは「国権の発動として」の戦争をしない、ということを言っており、それは地球上ではじめて日本国憲法が言い出したように憲法学者が言うのだが、それはとんでもない話で、国際法の世界では、第一次世界大戦によって、人類は大きく戦争についての考え方を変え、それまでは、国家である以上、自由に宣戦布告して戦争する権利(交戦権)がある、という常識だったのだが、1928年に不戦条約が締結されて(日本も批准している)、そこで国家が自由に戦争をはじめる権利は、条約で禁止されたのだ、とされる。それでも第二次世界大戦が起こったので、終戦後国連憲章ができて、あらためて国家には自由な交戦権などない、と明言されたとされる。(日本もそれを承認して、国連に加盟している。)
その不戦条約、国連憲章と日本国憲法第9条を比較してみれば、日本国憲法は、それらの条約、憲章のコピペと言えるほど文言がそっくりである、と述べていて、実際にそれらを比べて見ると、その通り、日本国憲法はこれらの文言をそっくり導入していることは明らかである。
そして、不戦条約も国連憲章も、そうした不戦の思想を実効的にするため、その違反国に対しては、集団的に威嚇し、その企図を挫くことを積極的に勧めている、と語る。実際、国連の目的は、国際社会に平和をもたらすことであり、それを現実化するためには国連軍が出動できることになっている、と言うのである。
そうした国際法上の常識から見れば、日本国憲法第9条というのは、はじめから国際平和を実現する手段としての集団的自衛権までがセットで内包されているのだ、とあっさり語っている。そして、いやいや自衛のための戦争も禁止されているとか、個別的な自衛権は認められているが、集団的自衛権は違憲だとか、いろいろ憲法学者が語っているのだが、彼らは国際法の常識すら分からない素人である、とバッサリ斬られている。
そしてなぜ、憲法学者の通説が、国際法に追いつかなかったかと言うと、彼らは明治憲法下で19世紀ドイツ流の国法学を基礎に置いた憲法学を打ち立てた後、第一次大戦で国際法の常識が大きく変化したにも関わらず、そんなことに興味も持たず、ひたすら明治憲法時代の大御所の先生の学説を伝承し続けて日本国憲法を珍解釈したために、世にも奇妙なガラパゴス的な憲法学を樹立したのだ、と解説をしている。
大学における学問というのが、師匠と弟子の個人的な関係で成立する以上、どんなに学問が進歩しても、それが憲法と国際法という隣同士の関係であっても、一方の学問の成果を他方ではゼッタイに認めない、みたいなことが横行するためにそうなっている、と自分は思うのだが、とにかくこと憲法第9条に関しては、大学法学部は「憲法」で教えるのをやめ、ここは「国際法」で勉強してください、とするのが最も正しいと思う。そうして、「国際法」の先生は、憲法の前段階として、第一次大戦があり、その後平和についての常識はこのように変化したから憲法第9条は、その文脈でこう解釈できる、と講義をすれば、学生たちはより正しい理解をすることができるだろう。
ただ、憲法学者たちがそんなガラパゴス憲法学を発達させたのには、別の目的があったとも考えられる。それは、日米安保体制を堅持せよ、という国家意思が特に東大法学部憲法学教室に及んで、日本は自分で自国を守ることは憲法で禁止されていることにする、という特殊な説がそこで確立し、それでアメリカが日本の安全保障の責任者になる、という論理が成立することになった可能性がある、ということだ。
ただ、そうだとしても、いよいよアメリカの立場も変化している。ここいらで憲法学者が1945年以来、再度豹変して、憲法第9条は、実は自国を守る軍事力は容認している、とすれば良いのかも知れない。
ともあれ、良く考えれば、日本が自国の安全を守るために武装するのは当然で、平和な国際社会の秩序を破る不届き者に対しては、国際社会と協調して実力行使することも当然だ、という眼であらためて憲法第9条を読み直せば、確かにそのように読むことができるので、何も苦労して憲法改正なんかしなくても、実はけっこう第9条、今のままで普通の国家になることができる。そもそも似たような平和追及型の理想論を憲法に書いている国家は別に珍しくもない、というのが、国際法側の意見である。
憲法のことは憲法学者が一番良く分かっている、というのは間違いで、第9条に関しては、国際法学者の方が、より世界標準に従った解釈ができる、ということが分かったので、この本を買ってみたことは、自分には非常に大きな成果だった。

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