東アジアの安全保障上のリスクは、北朝鮮よりもむしろ韓国、といった風向きになって来た。何しろ大統領がいるのに執務できない、という状態が続いており、韓国政府が無力なのを良いことに北朝鮮の工作がどんどん進み、慰安婦少女像も続々設置されて、日韓両政府の離間を実現している。中途半端なTHAADミサイルの導入で中韓両政府間の離反も進み、それでいてトランプのアメリカと急接近、と言う動きもない。韓国の孤立化、という実に具合の良い状況で、北朝鮮はトランプ時代に突入できるので、これはもう彼らの外交の(あるいは工作活動の)勝利、ということに間違いないだろうと思う。
週末にある人物の家で昼食に呼ばれた折に、諸般の話をしていたところ、韓民族は重層的である、という話題になった。彼が親しくしている老韓国人は、90歳近いのにカクシャクとしている、というのだが、今は北朝鮮に属している地域の出身で、由緒正しい両班の家系の本家であり、家系図をひも解けば本家本流の嫡子として育ったのである、と言う。当然のようにソウル大学を卒業しており、英語にも日本語にも不自由がない。
さて、その彼の対日観はどうなのかと言うと、朝鮮王朝が自国の近代化を果たせずに自滅したところ、日本帝国は帝国大学を設立したのみならず、近代的な教育制度を朝鮮全土に施行して、本人が所属する階級を問わずにすべての人民に読み書きを教え、さらに産業を興して、事務職員や現場工員としての生き方を教えた。この日帝時代がなければ、朝鮮民族が封建時代から脱却をすることは、到底できなかったであろう、と彼は考える。
一方、本来ならば自分が大地主として君臨するはずだった故郷は、憎き金日成一味によって収奪され、自分が愛していた地元の良民たちも、多くは殺され、生きている者も地獄の生活を余儀なくされている。そのような極悪非道は断じて許されてはならず、わが故郷の人々を解放することが自らの一生の願いであって、その希望をかなえずに死ぬことは自分にはできない、という一念で今日も生きている、ということだった。
そういうわけで、一概に朝鮮半島と言っても、はじめからそれは地域差(地縁)、階層差(血縁)が複雑に交錯した重層化社会なのであり、それは現在でもまったく変わらない現実である。北朝鮮では、伝統的、血縁的な階層を、出身成分という区分で再定義し、いわば過去の階級概念を上下ひっくり返して、かつて被支配、被差別の対象であった階層出身者にエリートとしての特権を与える一方、伝統的に地元の中心にいた支配階層出身者は、差別の対象として貶められている。それは、階層化固定化された社会、という意味では封建時代とまったく変わらないのであり、せっかく日帝が近代化を進めようとしたのに、その(他民族から強制されただけの)民主主義は伝統としては残らなかった。
韓国側も、結局はアメリカによる直接の支配、という日本列島側で起こったようなことが起こらなかったので、地縁、血縁を重視する伝統には革命的な変化が起こらなかった。(一方、日本では親族法が根こそぎ変えられて、家長の存在が否定され、婚姻は家長の意向とは関係なく、両性の合意だけで認められるようになって、家族制度は、今やアメリカとほぼ同じになった。また家督という財産権も否定されて、財産は相続権を持つ大勢に分割されるようになったので、土地の所有権は細分化される一方である。)
そうした封建的な家族制度は、元来は中国がその発祥であるのだが、中国の方でも共産党が政権を取り、さらに毛沢東が文化大革命を全土で実行したために、地元の名士が財産を持つ、という伝統がほぼ破壊されてしまい、それに代わって共産党員が蓄財をする、というように特権階級の顔ぶれが大幅に入れ替わっている。
結局、この老韓国人のように、伝統的な名士としてのプライドを持った人物というのは、今や希少種、あるいは絶滅危惧種になってしまった。
それが良いことなのか悪いことなのかは、我々に評価できることではない。地縁、血縁の大規模破壊、という運動は、フランス革命によってはじめて生まれ、それがナポレオンによって収斂させられるまでの歴史をフランスで学んだ周恩来は、同じことを中国で行おうとし、相当程度それは成功した。
韓民族の場合、北朝鮮、韓国、という別々の方式に進んだわけだが、それをもう一度収斂させるための社会思想は、現状のいずれの社会体系とも異なる、バージョン・アップされた統合オペレーティング・システムであることを要するだろう。
そんなことが果たして可能なのかどうかを論じるよりも、そういう具合に彼らが収斂してくれない限り、東アジアの安全保障は確保できない、という現実的な要請がそこにはあるだろうと思う。

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