自分が企業への就職を果たして、海外営業という仕事をするようになり、はじめて出張した外国というのが、イラクのバグダッドだった。そこでは、一日に5回ずつ、尖塔(ミナレット)に括りつけられている拡声器から聞こえる、アザーンという歌声を聞かされることになった。これは、オペラの開始を告げる序曲みたいなもので、これが聞こえたら、敬虔なモスレムはモスクに行って、そこでお決まりの祈りをアラーに捧げる。
それは、自分が知っているこの35年くらいの間だけ行われて来たのではなく、およそ1400年間くらい続いて来た伝統である。京都の祇園祭だって、ざっと1150年くらいの歴史しかないのだから、これはもう、呆れるほど長い期間に渡って守られて来た伝統と言わざるを得ない。
我々が学生の頃、全共闘の議長だった山本義隆氏は、現在、予備校講師であり、科学史家でもあるが、「ニュートンの力学とニュートン力学は違う。」と語っている。同様にアダム・スミスの経済学は必ずしも近代経済学ではないし、マルクスだって、「オレはマルクス主義者じゃない。」と語っている。
そういう文脈で考えると、「マホメットの教えたアラーとイスラム教とは違う。」というのが真実ではないかと思う。そして、おそらく人類にとって重要なのは、マホメットの教えたアラーの方であって、イスラム教ではない、というのが、自分の意見だ。
マホメットは「預言者」であり、その意味は神(ここではアラーと呼ばれるが)の意思をそのまま伝達する者、ということである。旧約聖書には様々な預言者が登場するが、その多くは、神から与えられたメッセージが、あまりにも世間の顰蹙を買うような強烈な内容であるために、なかなかその通りに語ることが出来ず、ヨナという預言者などは、一度巨大な魚に食われて、ようやく助かったという経験をしてから遂に観念し、指定された目的地に向かって、ニネヴェの市民に強烈な脅しを掛ける。すると、それを聞いた市民たちは、それをもっともだと思って、深く反省した、というのだから、世の中はやってみなければ分からない、ということが分かる。
さて、マホメットが信仰を失わないための日頃の訓練として信者に課したのが、この祈り、そして、断食、喜捨(貧しい者に与えること)、巡礼などである。そういうマニュアルがきちんと整備されていたところが、イスラム教が大発展した秘訣であって、それは、全世界にマクドナルドのハンバーガー・ショップが広がったのと同じ論理である。
しかし、私の観察では、成功は失敗のもとである。イスラム教は、マニュアル化、標準化に成功することによって、民族や文化の相違を超えて、アフリカからインドネシアに亘る広域で信じられるようになったのだが、その理由は、当該地域には、もともと地方的な土俗信仰しか存在せず、イスラム教のような世界宗教の前に、土俗信仰は対抗が出来なかったからである。
ところが、インドネシア以北の地、たとえばタイやカンボジアには、仏教という別の世界宗教があった。ヨーロッパでも、フランク王国という政治権力と結びついたキリスト教は、強固な世界宗教としてその地歩を固めつつあったのである。このキリスト教とイスラム教の出会いは、実体としては同じ神を別な表現方法で信じたのに過ぎないのに、お互いが相手を異質なものとして排斥し合ったところが、歴史の悲劇であり、それは神=アラーにとっても不幸なことだったと思う。
さて、イスラム教は、自分のテリトリー内では標準化が奏功して、土俗の宗教を駆逐したものの、今度は仏教やキリスト教という、教義面でも、修道面でも、非常に深い宗教と対決せざるを得なくなった。そして、現実的に起こっていることは、イスラム教は、彼らとの対決あるいは対抗を諦め、自分の信徒を囲い込み、そのマニュアルの徹底とか厳守を強要するようになったことである。
マニュアルが強みであるイスラム教の強化とは、原理主義化に他ならない。そこでは、もはや大事なのは、諸物の根源、根拠であるはずのアラーではなく、マニュアルを順守するかどうかというテクニカルな問題の方に行ってしまう。そうであれば、一日5回のお祈りもせず、断食も巡礼もしない異教徒は、当然に(!)地獄に堕ちるだけの存在、言わば人間以下の存在(大日本帝国での言い方だと鬼畜か)としか認定されない。
自分の観察では、そういう宗教のマニュアル化は、仏教やキリスト教でも激しく起こっていて、それぞれの教祖は「こころ」を説いているのに、信者の方はそこまでの理解力がないから「かたち」だけで満足する、ということになって、まあかたちとかたちがぶつかれば、そこに軋轢が生じるだけだから、そこに21世紀における人類が直面している最大の課題があるのかも知れない。
坊主にもいろいろなレベルがあって、イランのホメイニ師という人物などは、宗教家としては二流にしか見えないが、政治的野心が強烈だったおかげで、政権そのものを握った。こういう連中に乗っ取られたのがイスラム教の悲劇であり、そろそろ教祖マホメットの思想を体現した本物のイスラム指導者が登場しないと、宗教自体が瓦解するのではないか、と心配になる。1400年続いたものは永遠に続く、などと考えると、それは大きな誤りである。

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