具合の良いことにアルジェリア人質事件が「終わった」ため、フランス空軍は、さらにマリへの空爆を続けていて、これに対して米軍が協力の度合を強める、という合意がなされた、ということである。
我々は、以前にもまったく風景を見たことがあって、その時の「敵」はベトナムだった。ベトナムは、戦時中は日本語で言う「仏印」であって、そこは日本が支配する地域だった。フランスは、本国がドイツによる傀儡政権になってしまったくらいだから、到底アジアの植民地を維持する能力がなく、日本軍にまんまと隙を突かれた訳である。
そして、日本の敗戦は、ベトナム独立運動を行って来たホー・チ・ミンらにとっては願ってもないチャンスだったのだが、旧宗主国のフランスは、それをやすやすとは許さない。しかし、フランス軍は、なぜか弱い。なかなか勝てないでいる間に、戦後の冷戦構造を構築した後のアメリカにとって、朝鮮戦争が休戦になってしまったために、一種の「血に飢えた」連中を今度はベトナムに投入することにしたのである。フランスにとっては、おめおめとアジア人の独立を許すよりは、アメリカに「正義の戦い」を戦ってもらい、自分は、勝手知ったる現地の利権だけは確保しようという「漁夫の利」戦法を取る。
かくして、いつしかベトナムはアメリカの戦いになってしまって、結局はアメリカもベトナム人に敗れる、という予想外の結果となる。アジア系が実は欧米よりも強かった、という事例としては、日露戦争以来の快挙だったろう。
さて、今度もアメリカは、イラク、アフガニスタン以後の戦場を求めている。戦争もまた、それによってカネや名誉や権力を得る人々がいる以上、紛争が存在しなければならないから、商売のネタがなくなれば、別のネタを作り出さざるを得ない。
もちろん、アメリカ自身の立場は、ベトナムに参戦した頃とは事情が異なる。冷戦はイデオロギーの戦いであったから、その意味で、ベトナムにまで行って、「ベトコン」を退治することは、一種の聖戦であることが可能だった。ベトナムの英雄は、国家によって顕彰される存在であった。
しかし、今現在戦われている「テロとの戦い」においては、現実的にどこにも英雄がいない。実際にそこで戦っている主要な部隊は、戦争を受注した請負会社の社員たちであって、彼らは単にカネのために戦う傭兵でしかない。
そこで立ち現れる問題は、アメリカが「財政の壁」と戦わねばならない、という事情である。戦争会社を雇うとしても、その原資は連邦政府の国防費である。この国防費が削られれば、いかにサハラで戦いたくても、軍事力を発注出来ないことになる。
フランスは、ベトナム同様、戦争好きなアメリカに実際の戦闘行為を任せたいだろうし、アメリカの戦争屋は、このビッグ・ビジネスをぜひ受注したいだろうが、なかなかそうも行かない。
地上戦でベトナムのジャングルという難敵に懲りたフランスは、今のところ空爆を頼りにしているが、本当に反政府勢力を潰すためには、砂漠での戦いを与儀なくされる。ジャングルで弱かったフランス軍が砂漠でなら強い、とはとうてい思えない。それに、アフリカの反政府勢力は、リビアのカダフィ政権が貯蔵していた最新鋭の兵器を大量に入手しているとされる。地上勢力は相当にパワー・アップしていると想定せざるを得ない。
もしも砂漠にも鞍馬天狗がいるならば、「スギサク、アフリカの夜明けは近い」と少年たちに語りかけているかも知れない。

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