アルジェリア人質事件の犠牲者のうちひとりを除く、その他の生存者ならびに遺体が帰国、という映像を見た。今回、帰国出来なかった遺体は、日揮社の元副社長で最高顧問という役職にあった方だということであり、英BP社の副社長と一緒に会議を行なう場で、犠牲になった、とのことである。
身元確認に時間が掛かったのは、遺体の損傷が甚だしかったからであろうから、おそらく爆死だったものだろう。
そういうVIPがやって来るのを好機と見て作戦を実行したテロリスト側は、大物を誘拐することによって、アルジェリア政府に様々な要求を突きつける積もりだったと思われる。彼らの犯行声明をそのまま受け取れば、彼らはマリ空爆のためにフランス軍軍用機がアルジェリア上空を飛行することを停止せよ、と要求したかも知れない。英国と日本の民間人VIPを人質に取って、アルジェリアおよびフランスの両政府に対して圧力を掛ける、というのが、今回の作戦の主目的だった、という構図だろうか。
そして、おそらくアルジェリア政府は、フランス政府とも協議をして、人質の人命よりも、彼らの要求を叩き潰すことを選択したのだろう。
それが良かったか悪かったかを語ることは、むずかしい。そういう選択を彼らはした、という事実しか残らないし、その選択をした結果、テロリストは獲物を失い、その企図はくじかれた。
我々は21世紀に住んでいるけれども、それはいまだに20世紀を引きずったままのものだ。
フランスは、なぜマリという国家の「内戦」に軍事介入をするのか、という問題から、我々はこの問題の原因を究明しなければならない。それは、このマグレブ地方が、フランスにとってその支配権を失いたくない旧植民地だからである。アフリカは、近代ヨーロッパによって「発見」され、植民地として支配された。英国は全世界に展開した植民地を第二次大戦後に、自分の息のかかった地元の支配者を利用して間接支配出来るようにして、独立させた。しかし、フランスは、そんな姑息なことをせず、支配を継続していたために、アルジェリア独立戦争が起こる。
アルジェリアには、戦前の満州に多くの日本人がいたのと同様、多数のフランス人がいて(ノーベル文学賞作家のアルベール・カミュなど)、彼らはその利権を失いたくなかったから、戦後も植民地を手放さず、独立戦争の結果、1960年になってはじめてアルジェリアもマリも独立したのだ。そして、フランスは、今でもこの地域における間接的な支配権を持ち続けている。この砂漠地帯では、帝国主義の時代は、未だに清算されていないのである。(日本の帝国主義は、戦争に負けたから強制終了させられただけで、もしも勝っていれば、いまだにその影を引きずっていたことだろう。)
帝国主義によって支配された者の論理、というのが、独立を勝ち取った現在のアルジェリア政府にも、そんな西洋的な民族解放主義者政権に批判的な反政府イスラム教テロリストの側にもある。彼らは、敵同士ではあっても、帝国主義者という共通の敵の前では、同じ側に立っていよう。
さて、では英国人と日本人の立ち位置は、と言えば、英国は連合国でフランスの同僚であったし、日本はその敵だったと言っても帝国主義者だったことに変わりはない。
彼らは別に我々の歴史認識について文句を言うことはないが、日本がアジアで帝国主義的侵略行為を働いた、フランスと同じ側の悪党である、という認識は当然持っていることだろう。
我々は、個人的にそうした歴史に無知であったとしても、それで免責されることはない。もちろん、ならば彼らの恨みを買っても仕方がない、ということではなく、宗主国側だったことの落とし前をしっかり付け、これでノーサイドという認識を共有出来ない限り、当時の被支配者側からの暴力に終わりはない、という事実認識をしっかり持つべきである。
帝国主義の時代は、もう過ぎたから忘れる、という具合に都合良く出来ているものではない。フランスとマグレブの関係が未解決なのと同様、もちろん日本と大陸や半島との関係も未解決のままである。

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