日本人って不思議だ、というのは、世界の共通認識だが、今朝もそう思った。
例によってNHKのニュース番組を見ていたら、大学入試センター試験というのが実施されて、問題用紙が試験時間中に持ち出される、というトラブルが起こり、管理体制に問題があったのではないか、という論調だった。
これは、本来持ち出してはいけない問題用紙を規則に反して持ち出した、という事案であるから、その受験生に問題があったのであって、それを管理体制の落ち度だ、と言うなら、試験会場には武装したガードマンでも配置して、受験生の挙動をすべて厳重に警戒する、というようなことが必要になるのではないか。
要するに、違反者は厳罰に処する、というのが当然であって、この受験生にどんな罰則を与えるように規定されているのかは分からないが、そういうことをした者には、ひどいペナルティを負わせるべき、というのが対策の本質で、管理体制の強化、っていう方向は、人間を無能力者扱いする、いちいち見てないと君たちは言っても分からないような連中だ、と決め付けている訳である。
ルールを守れない人間には、大学に入学するための前提条件がそもそも欠けているのだから、違反者は三年間大学への入学資格を剥奪する、程度のことにすればよろしいのではないかと思う。
実は、アメリカの銃規制という問題にも類似の性質があって、日本の人々との会話では、アメリカでは銃が野放しらしいじゃないか、という認識の方々が多い。別に、銃砲の所有は野放しになっている訳ではなく、クルマを買うのに登録が必要であるのと同じく、銃砲を買う場合には登録をする。クルマだって、人を殺傷するのに使われる訳だから、その危険度は決して小さくないのに、それで日本のクルマ規制は野放しだ、とする主張はあまりない。
クルマは生活に必要だが銃はそうでもない、というのは、主に都会に住む人々の言い分であって、自分の生活圏にはクマもいればキツネも出る、という場合、無防備で住め、という規制はかなり無理のある話になるだろう。
それに、本当は都会の場合、クマやキツネよりももっとこわい動物であるヒトというヤツがいくらでも生息しているのだから、彼らへの対抗手段を持たない、ということは、かなり危険な状態である。ストーカーが自宅に来て、娘の部屋に侵入しようとしたら、自分なら何の躊躇もなく銃をぶっ放す。決して、キッチンの包丁を持ち出して犯人と格闘するような危険は冒したくないと思う。
大体、銃規制と言ったって、その存在が絶対的に禁止されるなら、まだ話が分かる。現実には軍隊も警察官も銃砲を所有している。彼らには許可されるものが自分には禁止されるなんて、こんな危険な話もないだろう。民主主義の暗黙のルールとして抵抗権がある、というのは、そんなに奇矯な政治思想でもない。圧政的な政府が人民の人権を蹂躙する場合、人民は武器を取って、自らの人権を守るべきだ、というのは、いわば民主主義の基本思想だと言っても良い。
危ないものは持たない、持たせない、という過保護の思想だと、じゃあオレだけはそれを持ちたい、という者が必ず出て来るし、それはまた管理体制を強化して統制すれば良い、と言ったって、それじゃあ人民は誰でも常時監視されていなければならない、という管理社会を生み出すようなことにもなる。
危険なものをどうやって自分が持ち、自分でコントロールするのかは、自分が大人になるとはどういうことか、という教育の問題であって、センター試験も教育というものの一環であるならば、受験生を信頼する、しかし、処罰は厳格にする、というのが、最も合理的な運用だと自分は思うのであるが。

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