圧倒的な智慧、それは持ち続けてきたものを今さらに気付くとでも言った方がなじむかもしれない。
この世界では賢者の声を聞くには遺された文字を読むことであるし、今では記録されている映像を見ることになる。
いずれにしても、外部から何かしらインスパイアしなければならない。
しかし、それは非自己からの情報ではなく、内在する何かが湧き出してくるようであるために、そのような感覚がなじむ。
圧倒的な、津波のような情報の連続が一定期間継続すると、それは希薄になっていく。
とても刺激的な期間を経験した者にとって、枯渇するはずのない智慧がとだえてくることは、神、仏から見放された寂しい気持ちにさせる。
それ以前の生活に戻る、普段の単調な生活になっていくことに、なぜか寂しさを感じてしまう。
しかし、それも時折の変化が、すぐそばに神、仏がいたのだという、わかっていながらも童話の物語のような感情になっている。
一種の精神的な病気なのかもしれない。
離れることのない、離れたことのない真実というものを知っていながら、母を探す子どものような気持ちになるのは、新しい世界へ飛び出した心細さというものなのだろう。

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