戦いがある。
[A]と[B]との戦いである。
非[A]は[A]にとって敵であり、[A]の存在の維持を脅かす者として、[A]の自由を奪う者として消滅させるべき存在である。
しかし、[B]にとっても[A]は同様の存在である。
同様の意識でありながら戦うのは、その核、重心が違うからである。
核、重心は文化であり、富であり、糧である。
文化、富、糧に価値を求めなければ、両者は同様の意識を有する。
本来であれば、宗教がこれを目指さなければならない。
分かち合うこと、尊重しあうこと、支えあうこと。
しかし、存在の命題は存在し続けること。
それは物理的にも、精神的にも、である。
叩かれれば、叩く相手をぶち叩かなければならない。
そうしなければ、個としての存在は失われる。

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