創造神が宇宙を創造した目的である「我、なぜにあるのか」という問いを答えうる存在を神の胎内で誕生させること、が達成した今、存在である我々はどうなってしまうのか。
創造神は存在のトリガーと自らが育つであろう環境を存在に与えたが、創造神自身が存在に手を出すことはなかった。
目的を達成した今であっても、その創造神の基本は変わらない。
とすれば、我々はどこへ行こうとしているのか。
存在の意識の総濃度がどこへ向かっていたのかを知ることが重要だ。
少なくとも、さまざまな分野で過去の発見・発明、そして偉人達の声、言葉が情報として蓄積され、それを基礎にこれらを進化させ、とくに科学の分野では良否はともかくとして、現代はその速度を急速に増している。
精神的、霊的な情報についても、地味ではあるがその深部を明らかにしてきている。
出家しなければ習得することができなかった閉ざされた知識が、解放されたようなものである。
より高き善を生み出す環境は、決してより善なる社会だけではなく、より悪なる社会であっても実現しうる。
どちらを選択するかは同じ時を共有する我々全ての意識のありようであるが、いずれにしても、より高き善が育ち、そして濃度のベクトルの長さと方向を導く。
善が善を生むか、苦が善を生むか。
そして善は次なる神として新たな存在を創造するのである。

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