自利
利己
自とは、己とは、座標なのか、領域なのか。
座標であるのならば、「私」は存在を否定された無なるものである。
これは真理ではあるが、現実の実感とはことなる。
まして、自利、利己などという概念すら否定されることになる。
では、「私」は領域なのか。
現実の実感はこれに近いものであろう。
この意味から、究極の自利、利己は利他であると思う。
他と考えるから惜しむのであり、奪われるのである。
領域を広げ、それが「私」であるのなら、そこには何の問題もない。
私は感じる
「私」とは濃度なのだと
重心という座標

0