「生命の力」と「身体の欲望」
「苦の消滅と快の追求」
「条件付きの愛」と「条件なしの愛」
遅ればせながら読んだ「無痛文明論」は私にとって実に痛快な作品だった。
しかし私は、「無痛化」は「心の時代」へと移行するための「無身体化」であり、悲観的には考えておらず、むしろ超越するための過程であると考えている。
「無痛化」は人類に限らず、存在全ての根源的な進化の過程である。
存在とは「自己=自覚・反省」「愛=存在を支えようとする意志」「自由=存在し続けようとする意志」の三者があってはじめて成立するものであると考えており、進化は「存在し続ける」ために、自己を弱体化する苦や束縛を取り除こうとする意志の現われである。
「無痛化」はこの「自由=存在し続けようとする意志」に偏重し、「愛=存在を支えようとする意志」が希薄化していることの現れであろう。
存在が自己と愛と自由から成り立っているものとして考えるならば、自由のみが無限界的に拡大していくとは考えずらく、著書の中にあったように、ビオトープなど折り合いのつく地点へと立ち戻っていくのではないか。
ただ、これも自我が未成熟のまま身体は大人といったバランスの悪さが阻害するかもしれない。
西田幾多郎博士が示しているように、「自覚には反省がなければならない」とし、「他我へは感謝がなければならない」(正確ではありません。)、といった倫理観ともいえる教育が必要であろう。

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