出来の悪い息子をあきらめもせず、暖かく導いてくれた存在
自力で全ての願いの実現に向けて汗をかき、少しでもかなえば、親孝行にもなるだろうし、自力を支えてくれた力に感謝することにもなるだろう。
存在に楽になってほしいとは思うのだが、その明確な存在を教えられはするが、実感としては、触れたことも、観たこともない。
「理」としては確かに「実存」なのであるし、様々な死へのタイミングをすり抜けていることは、奇跡というには日常的であり、「実存」しているはずだとも感じる。
「実存」していることを前提に親孝行したいとも欲するのだが、触れることのできない存在に、どうすればよいのか。
欲張りなのか、疑い深いのか、親の愛を実感できるまでわがままを続けるこどもなのか。

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