つま先で立っていようとすると,しっかりと立っていられない。
歩幅を伸ばして大股で歩こうとすると,うまく歩き続けられない。
己を目立たせようとする者は,すこしも認められず,己を正当化しようと言い立てる者は,世間の評価とはほど遠い。
己を自慢して言いふらす者は,人々の上に立てない。
「道(タオ)」の基準に照らして言えば,これらの者どもは,人をむかつく気分にさせる“おり・かすのような屑的人間”とも言うべき奴らである。
だから,「道(タオ)」を究めた人は,これらの者を寄せ付けない。
悟者は無分別に生きるため、己がしたとか、己のおかげだとか、自らを立てることはもとより意識にない。
意識にないため、他からは誇らない人と呼ばれ、尊ばれる。
自粛しているわけでも、卑下しているわけでも、爪を隠しているわけでもない。
他の人は自らの評価で悟者を見るから、いつ悟者が「それは私がしました」と言い、それまで己の成果だとばかりにふるまってきた化けの皮を剥がさないか、悟者を恐れる。
悟者に自慢しない理由を尋ねればわかるだろう。
「何を自慢すればよいのか」を逆に尋ねられるのがおちだ。
自分でした意識がない者に、それを自慢することなどできないからだ。
自分でしないことでさえ、自分がしたことのように自慢するのが当たり前の社会で、とても風変わりに見えるかもしれない。

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