「道」自然は寡黙である。
たとえば突風が,朝を通して吹き荒れることはない。
驟雨が終日降り続くことはない。
風雨はいずこより来るか。
自然より来る。
自然においてさえ,その現象は永くは続き得ないのに,人間がなし得ることの,なんとささやかなものであることか!
このことから,以下のことが導かれよう:すなわち,
「道(タオ)」を悟った者は,「道(タオ)」そのままに振る舞い,
「道のかたち(現れ方)」を体得した者は,「道のかたち」のままに振る舞う。
「道(タオ)」を放棄した者は,「道の放棄者」として振る舞う。
「道(タオ)」を悟った者は,「道(タオ)」に迎え入れられる。
「道のかたち」を体得した者は,「道のかたち」に迎え入れられる。
よく誠実を保ち得ない者は,他人の信を得ることができない。
悟者は法に従う。
されど、法に従うは悟者にあらず。
あれやこれやと事細かな悟者のいろはを示したマニュアルがあれば、悟者はこれに従っているように見え、さらには従わない時もあり、怪しい。
しかし、マニュアルを熟知した者はそれを間違いなくこなし、悟者に見えるかもしれないが、新たな場面ではこれを守ることができない。

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