【twitter】11年6月7日
二つの今があり、二つのここがあり、二つの我がある。
それは主体、客体がどこにあるかで異なる。
我が主体であれば是、我が客体であれば否。
真如の位置からは時すでに過去、未来、現在の絶対的差なし。
身体的自己は二元性の世界にあって初めて存在しうるものであり、是と非、善と悪、白と黒、高と低、大と小、深と浅などの相対的世界でもある。
しかし、それらの基準は絶対的なものであるはずもなく、個によって基準に差異があることは当然である。
さらに、同一個であっても歴史の流れの中でその基準は変わる。
霊性的自己にあっても身体的自己の体験により成長していくわけではあるが、その両者の自己を貫く真我という己の核は全くそれらに影響されることなく、ただあり続ける。

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