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一般に暇と退屈は同値であると考えがちだが、暇だが退屈していない、暇はないけれど退屈している、の両者(暇はないし退屈していない、当然)がある。 問題なのは「退屈」
「退屈」から逃れるために人は血を流すことも厭わないという。
「退屈」とは自己を全否定するものであり、全労働から疎外されているものなのである。
すなわち「退屈」とは「生きる意味のない状況」そのものと感じることなのである。
しかし、「退屈」を深化の時をチャンスとすれば、まさに瞑想のタイミングとなり、疎外の時が栄光の時となり、無意味から絶対価値を生み出す子宮となるのである。

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