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思考という雑音は、あくまでも言語化され健在化している思考である。熟考の中、静寂さ、憩うことで、潜在している非言語思考の一端を聴くことができ、ピンとくることも体験することも多いだろう。
テキストを読む、眺める、文字を拾い上げる。
世界に登場させたその瞬間の自己の状態は忘れてしまったが、およそ異なる位置にある自己がそれを読み、そしてインスピレーションを受ける。
確かに自己の言葉であるが、世界が異なって感じる。
その感覚とは、非言語思考であり、そして言語化される。
言語自体が非言語化した瞬間であろう。

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