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瞑想は暇でも退屈でもないところにある。 静かに、流れる思考を眺め、鏡水面になってくのを感じることもなく、移行していくのは、一般的な思考という雑音で埋めないと居られない人とは全く異なる。
瞑想とはまさに「死ぬ」ことを理想とするのかもしれない。
「死ぬ」と言っても肉体的な死ではなく、「無私」「無我」になる精神的な死であり、かつ、積極的な死である。
「自分という個性を消滅させること」は、「死んだら自分はどうなってしまうのか」という不安、「なぜこんなことをやっているのだろう」という抵抗感で自我が騒ぎ出すきっかけとなる。
それを超える場所に安堵することが瞑想である。

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