古い「川柳展望」をひらくと、たちまちその時代にさかのぼる。昭和63年春の号(N053)に八坂俊生さんが古谷恭一句集『枕木』に触れた一文がある。
月朧 草食獣はみな眠り
人間に降霊祭の明るさよ
人妻の指のぼりゆくかたつむり
放っといて下さい月は背を濡らし
頬杖をついて博物誌の厚さ
私が良いと思った句であるが、これにはそれぞれの思いが感じとれる。自分の内面を見ている目があるからである。しかし
日蝕がやがて始まる深い椅子
不可解な勃起が滝を遡る
残照や筵一枚ずつ裁く
になると私には難解句である。意味がさっぱり掴めないから作者の思いを感じとることができない。
板の間を匍ってくるのは母の髪
煮凝りを掬って父は老けはじめ
長男に生れ落ちたり草を薙ぐ
のような句が恭一さんの世界だと思っていたが、この句集を読んでから、作者の姿がはっきりと描けないでいる。意味で思いを伝える、他者の姿を通して思いを伝えるという川柳本来の方法は今も有効であるが、この句集を読んでいると、どれが本当の作者なのだろうと思わせられるところがある。
「思いを書く」という視点からの見識である。
八坂俊生氏は「川柳展望」創刊以来、新子さんがもっとも信頼を寄せていた一人で、創刊号生みの苦しみにも立ち会った数少ない一人であったと聞いている。私も随分懇意にさせていただいたが「アキラはんの句、だんだん難しくなるなあ」と呟いたのを思い出しながら、あらためてこの一文を読み返した。
この号の新子作品
物売りの声の中なる仮死つづく
二人で歩くちょいとそこまで地の果てまで
空の奥 あなたの澄んだ声がする
桜まだ梅の便りに死になさい

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