今日の教室は住宅顕信を教材にする。
彼は昭和59年(1984年)2月急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月長男誕生。不治の病の夫に対し妻の実家が希望し離婚する。長男は顕信が引き取り病室にて育てる。10月自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事する。この頃より自由律俳句に傾倒し句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔。
若さとはこんな淋しい春なのか
窓に映る顔が春になれない
水滴の一つ一つが笑っている顔だ
月、静かに氷枕がくずれる
一人だけの淋しい物音をたてている
夜が淋しくて誰かが笑いはじめた
今、全国的に第二次住宅顕信ブームである。

0