腰を折って、背中をまるめてとぼとぼの山の坂道を歩く老婆を、カメラは舐めるようにして延々と追う。その沈黙の姿から人生がにじみ出る。演技をしないというより、演技をすることさえ知らない老婆の無垢な心がそれだけで見るものの心を揺さぶるのだろう。
やたらどでかい仕掛けと予算をかけたハリウッド映画がいまは世界の主流だが、おそらくその十分の一の予算もかけていないだろうこの映画が、韓国をはじめ世界の賞を総なめにし、韓国では400万人の観客動員と大ヒットしたのはなぜだろうか。
それはハリウッド映画が自ら放棄し、日本映画が失いかけている「心の原点」ではないか。ハリウッドが良心を見せようとするあの難解な芸術至上主義とも違う。抒情的美意識を文芸作品とする日本映画とも違う。ただ素朴に生きているだけの、その素朴な姿にこそ芸術の原点がある。
文学とまでは言わないまでも、文芸の一端としての川柳にかかわっている一人として、この映画に胸を衝かれるような思いがした。・・私たちは気づかぬうちに何かを失いつつ、ひたすら前に歩いているのではないかと。

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