片柳哲郎の主宰する「新思潮」に所属していた頃、主宰から「なぜかウチ(新思潮)は宿痾の集まり。皆それぞれに病いをもった身のたましいが求めあっているのでしょう」と言われて、「はあ・・」と頷くほかはなかった。それでは、心も身体も恥ずかしいぐらい健康そのものの私の居場所はないではないか」。
確かに片柳哲郎は境涯性を美と捉え、悲痛な昂揚感を好んでいて、ある盲目の作家が願望として明るい光りの溢れる句を詠んだとき、「それはあなたのイメージではありません、いつものように、哀しみ歌を書いてください」といわれたという。どのような境遇であろうとも、時には笑い、はしゃぐこともある。しかし主宰にとってそれは赦されないことだったのだろう。
私が「新思潮」を辞めたのは、健康すぎるという健康上の理由であった。

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