昨年の県文学選奨の受賞作品が「読者の半分は解らない」とやや非難めいた声があった。審査員として、このことには一度触れておかなければならないが、勿論、どのような句でもすべての読者の満足を得ることなどはあり得ないのだから、これを間違いと言うつもりはない。だが、「私は誰にでもよく解る句を書いている」と自負する句が、すべての読者に受け入れられているかというとそうではなく、おそらく半分の読者は「解るけどつまらない」という評価をくだすだろう。作品と読者の関係とはそのようなものではないか。「解る句、解らない句」の論争が真摯な議論ではなく、好き嫌いの感情論になるほど愚かなことはないが、問題は「解る、解らない」ではなく、「良いか、良くないか」ではないだろうか。議論はお互いに信頼しあうところから深めていきたい。
夜明けまで憤怒の月を研いでいる 明

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