地図繰って雨の止まないひとところ 田中杏人(川柳塾)
具体的には、遠い地の台風被害を気にして地図を広げているのだろう。そして指さしたそこ「雨の止まないひとところ」に心配げな思いを寄せる、ということだろう。しかし、この句はそうした作者の事情は別にして、地図の中に雨の止まないひとところを見つけたという感性が、意味を超えた一行の詩として立っている。普通は雨の被害を気にしている感情を入れたくなるものだが、自分の感情をセーブすることによって、読み手は自由にこの一句を読むことができる。
九十年生きておかしみだけ残し 田中杏人
生きた九十年を凝縮し、篩いにかけて残ったものは「おかしみ」だけだという透徹した人生観。この場合の「おかしみ」は喜びや哀しみを超越したほろ苦い哀愁であり、死を正面から見据えてたじろかぬ滑稽ではないか。おそらくは九十を数えたものだけが到達し得る境地であろう、一切の無駄が削ぎ落とされた空間に作者の精神が屹立している。

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