顎のはずれた鯨

現代川柳はどこへ向うのかー言葉は私たちに何を与えてくれるのか

 

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投稿者:senruu
つづきは「らんまん句会」でぜひ。お目にかかれるのを楽しみにしています。
投稿者:一声
つわものどもですから、それだけでもう強いイメージで満たされると思います。
短詩の世界では一字でも強い語があるだけで、読み手の頭の中にそのイメージが渦巻いてくると思いますので。

ですからこういう表現を用いる(猛々しさといいますか、いえ)たくましさとともに、風刺できる客観性というような表現など、やはりナイーブだけではうまくまとめ切れていないような気がしてしまいます。

そして芭蕉も、どこか猛々しい描き方をされたとは思います。本当に寂寥感を描くなら、つわものどもという直接表現は避けて、もっと何かに例えて(花でもよいですが)その儚さを美しく、情感を持って描いたのではないかと思いますし。芭蕉自身もどこか、劇画のような描き方を自覚してあの句を詠まれたのではと私は推察しています。

しかし、石部選でそんな風に感じたのは今回が初めてですから、実は毎回、上手い評をされるなぁと感心して読んでいますので!

http://kaoruha777.at.webry.info/
投稿者:senruu
ヤング川柳お読みいただきありがとうございます。言うまでもなく一句をどう読むかは読者のまかされていますが、私はあの句に「高校生らしい活き活きとした感性」はそぐわないと考えています。といって「ナイーブな感性」をよわよわしい繊細なものと短絡したわけでもありません。日頃は部活の生徒たちの練習でにぎわう体育館ですが、ふと誰もいないガランとした体育館にたたずんだ作者(高校生)が、その静謐な空間をやや感傷的に「つわものどもの夢の跡」と捉えた。そのとらえ方は「ナイーブな感性と言わざるをえません。でも貴重な意見をいただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

なお、あの芭蕉の句に心理の勇ましさを感じるというのは意外です。勇ましさではなく寂寥感ではないでしょうか。
投稿者:一声
石部先生、山陽新聞の「ヤング川柳」楽しみに拝見しております。

と、今日の選評で「高校生らしいナイーブな感性」とありましたが、ここは「高校生らしい活き活きとした感性」の方が相応しいと思ったのですが(ご自身も悩んだところとは思いますが)いかがでしょうか?

夏草の句は、ナイーブよりも、やはりとらえる方の心理に勇ましいものを感じますので。
もし弱々しい繊細な句の本歌取りなら、ナイーブが適切かとは思いますが。

それではまた句会などでお会いしたときは、よろしくお願いいたします!


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