「11月12、13、14日 ツールド沖縄210kn」
レース
12日は早朝より飛行機に乗り沖縄入り。
午後過ぎには、名護にレンタカーで到着。

受付を済まして、このあとは色々と御世話して下さったAミーゴ夫妻が前半の危険区間の説明ドライブをして下さり、スタート後20キロ程を下見。
参考になりました。アリガト〜!
その後はホテルへ。

ホテル内への持ち込みOKで、機材の最終チェック。

あとは湯船に浸かりグタ〜と、午後9時には就寝。
13日は朝4時起きで、全ての準備を済まして7時50分からのスタートに備え、7時前にはスタート地点へ並ぶ。
チームメイトのO島さんやチーム光のM岡さん等と会話しながらスタート待つも緊張〜。
前方には、普段はプロツアーで走るオーベストの西谷さんやイナーメの高岡さん等の有名どこの選手達や、そのチームメイトやアシスト選手が。
実業団レースでは、カテゴリーが違うので一緒に走る機会が無いので「オ〜有名人たちダ〜っ」て感じで。
バクバクの心臓のままスタートして名護の街中を過ぎてローリングスタート、400人以上の210キロの選手の中、前方50番手位で。
最初の20キロ位が道路工事区間があったりと危ないので、集団が前に前にと被さって前方の位置取りのある中、前回のE2輪島レースでスタート前に話してたマホロバRCの選手がワタシを覚えていてくれて、声をかけて上がっていく。
それにツラレてワタシも前へ。
前では有名選手とアシストがペースを作ってる中、なんとなく恥ずかしながら・・前方5人目位の位置で走ってみる。
ただ、ソコも気恥ずかしい感じの位置で、その後の危険区間が過ぎた辺りから順位を下げながら150位前後の位置まで下がり海岸沿いに。
そのヘンで一時間ほど経ち、補給食取りながら走るが、ペースは少しの登りも登りと感じないくらいの40キロオーバーで淡々と。
70キロ地点の与那入口超えて、最初の普久川ダム登り区間へ。
ここからが本番と考えていて、前半の平坦の70キロを走ってたんだが・・・その前半の70キロ程で意外と足を使ってたのか・・・登りに入り、思うように集団の前に上がれない・・。
ここで左の脚の膝上が痙攣・・・少しパニくる・・集団に置いて行かれる・・。
レース中に脚が攣るなんてコトは今まで無かったのに、こんな場面で・・。
それでも軽いギアで回しながらホグス感じで回し回し登る。
だましだまし登り、一つ目の普久川補給地点で補給を取り下りに入る。
下りに入ると小さなパックになってるが、明らかに集団の下りが遅い。
下り切り辺戸岬へ北上する頃には後ろがチギれ2人になってる。
二人ででもローテ―で前に行こうと話すも、相手も脚攣りで売り切れだと・・言いながら少しの登り坂でキレていく・・。
仕方なく一人旅が始まる・・・。
辺戸岬過ぎて南下し始めて暫くすると、20人程の集団がローテ―しながら追いついてきてくれた・・・有難くて、その後尾に飛びつき、独り旅で使い切った足を休める。
そのまま脚の回復待ちながら、その集団を使うも、その少ない集団内でも脚の残りがバラバラで中切れすることも・・安定しない小集団のまま与那入口から2回目の普久川登りへ。
ここでも登りはじめると足が攣る・・・しかも攣って無い部所が無いほどに両足の膝上内側、フクラハギ等が攣り、それを拳で叩きながら登る。
そんな私の脚でも、一度切れて後から追いついた小集団の中では前方で普久川の補給136q地点へ。
そんな2回目の補給地点では、あれ?コンナ選手まで終わっちゃってる・・・って選手もチラホラとへたり込んでる。
1回目の補給から53キロ後の2回目の補給までで水を使い切り、途中で機材車からペットボトルまで受け取ってた私にとっては、補給が嬉しくって・・。
再度下って、高江の関門に登っていくが・・10人程になってた集団内で関門時間がヤバイ!って話がチラホラ・・・。
155.3q地点の高江関門で唐突に・・・赤旗フラれ・・・降ろされました・・・。
155キロ程の地点の高江関門、4時間46分で、ワタシのツールド沖縄終わりました・・・。
自転車から降りると・・・アドレナリン出てた乗車中と違い、一気に全身がピキピキと攣りまくり、両足と腰が乗車姿勢から人間の姿勢になるまで、10分ほどかかったでしょうか。
まさに猿人から人類への進化の様な数分でしたが、これほどの身体の攣りや痛みは初体験でした・・。
もう悔しいやら情けないやら・・・ガックリ・・・。
バスに乗せられ・・・帰されました・・・。
その夜は・・・身体中痛い中・・・名護の居酒屋でチームメイトO島さん(93位!)、ボンシャンスM野選手(20位)、惜しくもDNFのチーム光のM岡選手とワタシとで飲みました。
O島選手は昨年のDNFリベンジの為にこの一年を費やしてきたそうで、470人中160人ほどしか完走出来なかった今年のツールド沖縄で見事100位以内での完走。凄い走りでした。
そして奥の若い選手のボンシャンスのM野選手は21歳で素晴らしい素質と真面目な性格のGOODな選手で将来の有名人になるでしょう。
そして昨年は完走果たしたM岡選手。
悔しそうでしたが、とにかく話が面白過ぎでした!
そんな方々と飲みながら・・・リベンジしなければ・・・このままでは終われない・・なんて・・。

この店の奥では、チャンピオン優勝の畑中選手のシマノチームがスタッフはじめ15人位で祝勝会してました。
ホテルに帰ってからも独りで・・色々と考えながら・・チビチビと・・。
14日朝は御世話になったAミーゴ夫妻に別れを告げて帰路に。

Aミーゴさんは市民50キロで健闘!
奥さんは女子50kmでスプリント賞獲得!
素晴らしい自転車夫婦ですネ。
実は最近はカミさんのほうが・・登りが強い・・とか・・。
今年初参戦で210qレース走りましたが、普通では走れない距離でのレースで、食料補給の重要性や水の補給で長時間のレースでの身体を良い状態に維持する経験や、コース体験の経験がいることが身に染みました。
普段の実業団のレースでも2時間以内で終わりますし、その時間内に出し切る練習はしてきましたが、ソコから先の距離でのレース経験が必要だと、そういう身体作りが必要なんだという事を学びました。
来年のコトは今は考えられませんが、もう一度ココに帰ってこなければと・・・良い宿題を沖縄で受け取りました。

1