12日 練習おやすみ
13日 外練45キロ 92分(荒川ポタ)
14日 外練33キロ 66分(荒川ポタ)
15日 外練25キロ 48分(荒川ポタ)
16日 外練45キロ 113分(福島レース試走)
17日 フォームアップ 8キロ(21分)
JBCF石川レース 34位/60人
18日 練習オヤスミ
12日は朝5時発で西東京方面の7月盆御参りから、神奈川、都内湾岸線沿いの御宅を回り、夜になりようやくウチ(都内寺務所)に到着。
ゆっくりと晩酌してグッタリ寝ました。
13日は朝から都内下町の盆参り、夕練では暑い中を荒川ポタリング。
14日は朝練で荒川ポタ。
その後は千葉県回り。
夜に帰宅すると・・・カミサンが都内ウチに・・ビックリ・・。
食事の用意と、様子見と癒しのために来たらしい・・。
翌日の昼過ぎには高山に帰ってった。
15日も朝練で荒川ポタ。
その後は夜まで埼玉の御宅等を回りオツカレ・・。
16日の午前中は千葉での御参り。
終了後は、福島石川町へ実業団石川レースの為に車を飛ばす。
到着後の午後過ぎに試走。
宇都宮ブリッチェンが試走しており、混ぜてもらう。
柿沼さんも居た様な。

プロツアー選手の走りの雰囲気は流石にオーラがありますネ。
17日は朝から暑〜。
こんな暑い日の午後からのレースは、フォームアップもヤリ過ぎに注意してロードを20分くらい流すのみ。
暑さ対策にコンナことも。
冷えピタを頭に。このままヘルメット被りレースへ。
スタートして即の登りでアタックがかかる・・・この暑いのに・・。
集団も難なく下り区間で捕まえるも一列棒状の区間もあり、皆が疑心暗鬼になり妙な雰囲気が集団内に・・。
1周目の後半の登り区間も、前でエキップ浅田の強化選手が逃げたがるようで、細かいアタックでブチブチと切れてく選手が・・。
兎に角、苦しい・・・スタートして全く170心拍以下の時間帯が無く・・オマケに暑すぎ・・。
ボトル二本差しながら1周回目には1本使い切る。
2周回目も集団が伸びたままの状態が続き、下り区間も休むトコ無し・・。
コノ頃になると、集団中程をキープしてたはずが・・後ろは居なくなってて・・いつのまにか集団後方員に。
他のレースと違い、ここでの後方は危険なので前に上がるも、脚の違いか・・直ぐに後方に追いやられる。
2周回目のラスト区間・・いよいよ苦しさもハンパ無く心拍も190オーバー・・前ぶれなく脚が売り切れ・・それでもアップダウンの続く区間を必死の形相で集団の後方を追うも・・・チギレました・・。
搾りカスと化した脚には生気も無く・・前を追う力もありません。
3周回目の登り区間の遅いコト・・集団から千切れたヨチヨチ登りではキツ過ぎ・・。
ボトルも底をつき・・・誰か・・審判車・・降ろしてくれ〜って感じでしたが、3周回目の補給地点ではアヅミノジャージ着用の茂木キャプテンの弟さんが補給部隊で!!ボトルを貰い!!!コレが無ければ自分から降りてました。
感謝の気持ち一杯で最終周回に入るも、暑さで身体中シビレるようで頭はフラフラで自分でも危険な感じでしたが、それでも何度もDNFになってるコノコースにリベンジしたいとの気持ちで。
身体中痛くて、血管は沸騰してて朦朧としながら最終回の関門前を通過。
その直ぐ後には審判バイクと回収車が後ろまで迫ってました。
バイクの審判バイクに「水は無いか!」と聞くも、「スマナイ!無い!!」と・・。
ただ、審判バイクも「ラスト3キロ!ラスト2キロ!ラスト1キロ!」と声をかけてくれる。
ワタシが関門通過した最終走者だったようで、審判バイクと共にラストの補給地点に来ると、知った顔の選手が「中井さん!ラスト!!」と声をかけてくれて・・有難う。
嬉しかったです。
ハズカシながら・・完走者半分の真夏のサバイバルレースの完走者のビリでした。
力を振り絞りゴールして・・倒れこむように水場へ・・ず〜とホースの水を頭からかけてました。
ホントにグッタリで、ゴールして水浴びしながら両足が痙攣して攣ってました・・。
(レース54,4キロ 1時間45分 AV心拍176でMAX192 AVケイデンス89でMAX123 1,579ki)
その後、1時間後に都内のウチに帰宅する為に車に乗りましたが、帰宅するまで身体中の筋肉が痛くて痛くて・・コンナ痛みは何時以来だったろうと・・。
そのくらいギリギリで出し切ったレースでした。
それでも・・3時間半運転しての都内帰宅後は友人と飲みに。
少し頭痛がしてたんですが、ビールは旨かったです。
18日は都内で午後からの法事。
前日のレースで身体がロボットの様な動きしか出来なくって・・それでもキッチリと供養して、夜9時前には高山帰宅。
なが〜い出張でした。
今は、矢吹丈より真っ白の灰になってます。

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