聖徳太子と儒教

2010/11/26 | 投稿者: 鹿苑院

聖徳太子大好きな私が儒教の批判をしていることに矛盾を感じている方もいるかもしれない。太子が儒教をも学んでいたことは日本書紀に記述があるし、十七条憲法にも儒教の影響があるからだ。この問題はスルーする気だったが、敢えて向き合ってみよう。

「儒教だからその思想はすべて悪い」などというのはそれこそ儒教的である。つまり、何を言っているかで理非曲直を判断せずに、誰が言っているかで決め付ける。しかもどんなものにも長所短所があることをわきまえずに、君子と決めたら全肯定、小人と決めたら全否定という儒教の悪いところそのままな考え方である。俺みたいに狭量なやつはついそういうことを言ってしまうが、さすが聖徳太子のような人は儒教の中からも有用な部分を抜き出して採用する賢さを持っている。

では儒教サイドからは聖徳太子という人物をどう見ているのだろう。
江戸初期の儒教学者で、徳川家康の側近だった林羅山は聖徳太子を「仏を好むの罪」と評し、崇峻天皇暗殺の黒幕を太子と決め付けている。なんてことをいうのだろう。こんなのを側近に置くとは家康様のミステイクだぜ。
やはり儒教にかぶれていた徳川光圀(水戸黄門)が編纂した「大日本史」の安積澹泊(格さん)が担当した部分にも聖徳太子への人物評があるが、太子が仏教を広めたことが「神への冒涜」とか「国の崩壊の元」とか書いてあり、中臣勝海の殺害も太子の仕業であるとし、最後に林羅山の太子評は完璧ですと結論付けている。なんてことを言やあがる。格さんのバカ。ファッキンシット!!

…というわけで、聖徳太子は儒教の中にも良い所を見付けて活かそうとしたが、儒教側では恩知らずにもその太子をボロクソに言うスタンスなのだ。やっぱり私、儒教とは仲良くしません。
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