聖徳太子と法相宗

2010/11/18 | 投稿者: 鹿苑院

法相宗という宗派はあまり聞きなれないかもしれない。「うちは法相宗の檀家」という家など私も聞いたことがない(おそらく存在しないと思う)。檀家を持ち盛んな勢いなのは真言宗、天台宗以降の宗派であり、法相宗はそれ以前の奈良の仏教、いわゆる南都六宗のひとつである。

今は法相宗の有名寺院といえば興福寺と薬師寺だが、聖徳太子の代名詞ともいえる法隆寺も、かつては法相宗所属だった。しかし今は離脱独立し、聖徳宗を名乗る。それには以下のような経緯があった。

仏教宗派にはいろいろな分類の仕方があるが、その中で「一乗か、三乗か」という分類方法がある。一乗とは、「人間は誰でも仏性(仏になりうる可能性)を持っているから正しく修行すれば誰でも悟りを開ける」という考え方で、三乗は「世の中にはどうしようもないやつもいるから、そういうやつは仏性を持っていないはず」という考え方である。

法相宗などの南都六宗は三乗であり、一乗を主張して南都六宗に対決姿勢を示したのが天台宗の最澄である。最澄と法相宗の徳一との文通による論争を「三一権實諍論」と呼ぶ。ちなみに、最初の段落で「法相宗はそれ(真言、天台)以前の奈良の仏教」と書いたように、日本では一乗が盛んになった方が後なので、一乗の方が新しい思想のように思えるが、本当は三乗の方が新しい。だから最澄が一乗を主張してきた時は、おそらく徳一ら南都六宗の僧侶たちは「何を古いことを今さら…」と思ったことだろう。最澄と徳一の論争がどちらの勝利に終わったかは不明だが、その後、現在に至るまで仏教の主流は一乗になっている。
(一目で解る三一権實諍論)

さて、一乗を最も高らかに謳っている経典といえば、最澄が一番大事にした法華経である。2つ前の記事に書いたように、聖徳太子も法華経を重視していたことが明白なので、したがって太子の思想も一乗と考えられる。だから法隆寺が法相宗では都合が悪かったわけだ。こうして一乗思想を奉ずる聖徳宗本山・法隆寺が誕生した。
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