難攻不落…か?

2010/7/23 | 投稿者: 鹿苑院

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稲葉山城は難攻不落の名城だった。織田信秀はこの城を手に入れようと一生の間もがき続けたが遂に果たせず、その息子信長は攻略作戦開始から7年かけてようやく手に入れている。

信長によってこの城とその城下町の名が「岐阜」と改名されたが、信長による落城以後、この城の不落神話は崩壊したようだ。信長の死後、その三男信孝は岐阜城に籠城するも羽柴秀吉の大軍の前にあっさり陥落したし、関ヶ原の戦いの前哨戦で織田秀信(信長の孫)が守った時は池田輝政、福島正則ら東軍諸将の前にわずか1日で落城している。信長が7年かけてやっと落とした城が、時代が数十年下ればわずか1日で落城してしまうということに恐ろしい時代の進歩を感じる。登場時はあんなに強かった天津飯がピッコロ編以降めちゃくちゃ弱くなったのを連想する(ちょっと違うかな…)。ちなみにヤムチャは最初からたいして強くなかった。

関ヶ原の戦い後、この城は廃城・解体され、岐阜の街の主城は加納城になる。
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2010/7/24  0:25

投稿者:鹿苑院

中学高校には毎日岐阜城を眺めながら通学し、大学から帰省する時も岐阜城を見ると「ああ、帰ってきた」と実感したものです。今となっては戦略的価値云々はともかくとして、個人的な思い入れは大きな城です。

2010/7/23  5:24

投稿者:tenjin95

> 管理人様

時代的にも、信秀の時代には、まだ城砦が一定の価値を持っていましたけれども、秀吉以降は、城はただ籠もっているだけでは、落城必至という時代(兵器の発達などによって)でしたし、或る意味で秀吉の大坂城は、そういう時代でも対応出来る城だったといえましょう。岐阜城は、前世代の城砦なのです。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/

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